IC-821の修理に挑戦!?

2013-08-31      
 壊れかけのRadio・・・ってか壊しかけのIC-821は、きちんと代金を支払って購入したモノです。人様に迷惑を掛けなければ、3階の窓から放り出そうが、部品取りにしようが、「動かぬ」と明言してオークションで売っ飛ばそうが、誰にも文句は言われないわけです。逆に「本格的に壊さない程度」に調べていって原因をほぼ掴んだ挙げ句にやっぱり修理に出してもよいし、ひょっとして自分で直しちゃうなんていう格好いいことになるかも知れぬ・・・とちょっと自惚れもアリで、本格的に原因究明しようと思いました。いやぁ、実に天晴れな自分・・・って、当然

 壊れたきっかけになったであろう電源系統のケーブルの抜き差しは、かなり広範囲に影響を及ぼしそうですが、今いまの状態で正常に動いているところを消し込んでいけば、ひとまず「どのボード」程度は手繰れそうです。幸い、海外向けの「IC-821H」の回路図が付いたサービスマニュアルがあり、PDFで拡大しながら(と言う手間はあるものの)追っかけることはできそうなため、早くも「キミは正常マーク」を回路図に付け始めました。



 元のPDFファイルが特殊なセーブの仕方をされていなければ、そのPDFファイルに注釈を付けてセーブできます。この技は仕事ではよく使います。一般に「ビュワー」として名を馳せちゃった感じのある「Acrobat Reader」に数年前からある機能で、これが結構便利ですよね
 上の絵図のように、チェックマークを付けてそこに注釈を付記することができます。チェックマークには幾つかバリエーションがありますから、これを使い分けると面白いかも

 さて、今日の夕方にアップしたズッコケ記事を書いてからさっさと用事を済ませ、上記のような「正常部位外し」に取り掛かりました。「殆どここじゃないだろう・・・」と思われるブロック部分の回路図に書いてある電圧の情報(送信時9Vとか、サブバンドの時だけ5Vといった風な記述)を頼りに、ほぼその通りであれば注釈を書いてセーブしていく作業です。
 今のところ、PAとRF回路ブロックは実測で被疑対象から外すことができ、PLL についても「弱いながらも送受信できている」という事実から被疑にしないことにしました。
 また、もっと原始的ですが、IF受信部付近でクラニシ君@SG+ビニール線で出してやると、Sメータが振るほど強く受信できますから、ある程度のルートは生きていそう・・・原因部位は絞れそうです。

 ただ、メイン部分のボードがやはり大変大きいこと(回路が目一杯詰まっていること)に加え、切替処理が前面パネルの裏の基板に集中しているため、単に電圧を測るのも作業的に一苦労・・・それでもきっと、この経験が某かの役に立つと信じて、暫く拘ってみたいと思います。

高い授業料になってしまうのか・・・

2013-08-31      
 ハムフェアで手に入れ損ねたVUのオールモード機がどうしても欲しくなり、質の良さそうで比較的安いものを入手して済まそうと、15年ほど前のリグである「IC-821」を手に入れました。



 このリグ自体の修理満了期間がそろそろ迫ってきていることから、実際調子が良さそうであればオーバーホールを頼み、次の免許更新辺りまで使えれば御の字という計算で入手したわけですが、送信出力は2m,70cm共に20Wちょい出ますからまずまず・・・と思っていたら、この機種を含めた前後のシリーズでよく聞かれる(っていうか、ネットに情報が上がっている)不具合が直ぐに発生。一晩様子を見たら何となく直ったんで、これぞ正にその不具合(間欠的に起きる特徴がある)と合点し、昨夕仕事の帰りしなにエアダスターとクリーナー類を買ってきました。

 よく聞く不具合とは、2バンドの受信ランプが点滅を繰り返したり、送信してもいないのに送信表示に変わったり(といっても、実際には電波自体は出ていない状態)、スケルチが誤作動したり、メイン/サブのコントロールが変になったり・・・といった、まぁちょっと説明し辛いものなんですが、この原因はメインボードと前面ボードの間をつなぐFFC(フレキシブルフラットケーブル)の経年変化による接触不良が多いようで、これなら自分でも直せるわい・・・と思ったところが素人の浅はかさだったようです。コトの顛末を後学のために記しておきます。

 昨晩、蓋を開けて掃除を開始・・・とその前に、DCケーブルのフューズを見たら、何と「30A」というとんでもないモノが刺さっておりビックリ



 これ、中古リグにはよくある話で、大きめのヒューズが入っていることが多いんで要注意です・・・が、この辺りのチェックは定石。さぁ、蓋を開けて中を拝見。



 うっすらと埃が積もっているのが判りますか このくらいなら、小さいハケと綿棒で埃を取った後、部品に引っ掛かった綿埃をダスターで吹っ飛ばします。また、汚れの酷いところはクリーナーと無水アルコールで洗浄。基板用のクリーナーは、速乾性の結構良い奴が出回っていますよ

 さて、お待ちかね()のFFCの掃除です。



 このケーブルは圧着する方式ですから、窪みの部分が長期間経つと接触不良の原因になり易く、時にアルコールを染み込ませた綿棒などでしごいてやると元に戻ります。今回は、汚れの方はそんなに大したことがなく、怪しげなケミコンもありませんでしたので、正にこの処置さえきちんと行えば結構持ちそうな雰囲気でした。バラックの状態で確かめてみるとメインボードの「J3」が怪しいことが判り、ここは丹念に磨きました。



 さて、大凡全てのFFCを掃除してバラックのまま電源ON/OFFを繰り返し、例の妙な現象が起きないことを確認して底蓋を閉めたところで電源ON・・・すると、例の現象が再現 そこで、再度蓋を外してこのJ3を抜き差しすると直った模様。そこで、再度底蓋を閉めるとやはりダメ そして、これを何度か繰り返していると事態はどんどん悪化し、バラックでも不具合が再現したまま直らなくなってしまいました

 現時点で以下のような有様。

 ・ランプ、スケルチの動きは正常
 ・2mの受信感度が著しく低下、クラニシ君@SG(-3dBm)でメーターは振り切れるものの、超ローカル局しか聞こえない。
 ・70cmは完全に受信不能
 ・2m,70cmとも、ほんの少ししかパワーが出なくなった

 主要な場所の電圧は正常であることをサービスマニュアルに沿って確認していますが、ちょっと万策尽きてきました。現象からするとダイオードスイッチ等が被疑箇所になりそうです。

 夕方からお出かけ・・・できるだけのことを今日、明日やってみて、ダメなら修理か・・・修理して貰えるのかなぁという不安を含めてとちょっとションボリ やはり、自分の力を過信してはいけないようです・・・。

クラニシのパワー計

2013-08-26      
 ひょんなことで手に入れたかなり古いパワー計・・・今は無きクラニシの終端型電力計「RW-151D」が我が「ガラクタ・ラボ」の仲間に入りました。



 ちょっと掃除をしてこの通りです。前のオーナーが随分大事にされていたのか、丁寧に保管されていたのか・・・は良いとして、とにかく「お顔」は綺麗です。

 怖いのは「ジャンクはジャンク」で、中身がめちゃくちゃ改造されていたりする懸念もあるわけです。恐る恐る分解してみました・・・が、ネジの締まり具合から、きっと中身は触られていないと確信



 こちらも新品同様です。スイッチの接触不良など確認する必要もありますが、まぁこれだけ綺麗だと万一の修理も楽ちんですね

 さて、心臓部の無誘導抵抗のでっかいのは如何に



 こちらもまずまずでしょう。この写真では判り難いんですが、抵抗の根本のハンダヤニが、若干変質していそうです。この辺りは一度、大掃除(ハンダの盛り直し)をした方が良いかも知れませんが、まぁこのままでもイケそうな気もします。暇潰しには持ってこいの作業になりそうです。



 最後は背面です。写真の構図が悪いのは毎度のことですが、銘板に1978年12月と打ってありますから「35年もの」といったところでしょうか。流石に、コネクタは多少へたっていますが、この辺りも少し磨けば使えそうな雰囲気。

 測定レンジからしてQRPpから「移動局」までは余裕・・・という守備範囲になりますので、上手く校正して大事に使えば、多分これ一台で大抵の電力測定は済みそう。ネットにあった取説をダウンロードして読んでみたところ、「100Wで5分以上は連続送信しないように」と書いてありましたので、我が設備の最大出力(50W)を含め、普通の測定の仕方なら結構持ちそうです。いやぁ、良い買い物をしました・・・と自己満足に浸っています

 後は0.5W以下を少し精密に測定できる電力計(これはAD8307で自作になるでしょう・・・)を準備すれば、電力測定系としては申し分無しですね

ハムフェア2013にプチ参加

2013-08-25      
 十ウン年以上振りに参加した昨年のハムフェアから早一年・・・今年もとりあえず行ってきました。本当は、初日早めから「ある中古探し」をしたかったんですが、出掛ける直前に急用ができてしまって初日逃し さらにブログやツイッターの初日の情報に新製品情報もあまりなく、なおかつ天気予報は雨・・・「面倒くせ~」っといった有様だったんですが、昼前辺りから雨は上がってしまい非常に涼しい一日になりそうな運びとなったため、一回りするだけでも良いわいと重い腰を上げたのが昼食後でした。
 幸いにも、ビッグサイトまでは1時間ほどしか掛かりませんから、そそくさと身支度して13時半頃には家を出たんですが、日曜ダイヤで電車がなかなか来ないというトラップに填り、結局入場は15時ちょっと前・・・正味二時間程度のそれこそ「ざっと一回りプラン」になりました。



 イベント開催されている西ホールです。ね、閑散としてるでしょ って、まぁ当たり前ですね JARLニュースの割引チケットを持参して300円ほど安く入場しました。

 ガセなのかも知れませんが、ヤエスが「FT-827」という新機種を展示しているという情報をネットで見つけ、初日の午前中で何故か片付けられちゃったという記事もあったんで、半信半疑ながら、ひとまず最初はヤエスのブースに向かったんですが、確かに影も形もありません。係の人に聞こうかとも思ったんですが、一体どんなリグなのかも判らずに尋ねるのも・・・と気が引けて一回りし、KenwoodとICOMを巡回。

 KENWOODブースでお祭り騒ぎのTS-990は、整理券を配って試聴させるほどだったようですが、自分が到着した時点では既に列に並んでいる人もおらず1台空いていて、興味がありそうな人に「聴いてみませんか」と誘っているほどでした。自分は少し前に秋葉の某ショップで試聴済み・・・TS-590のNRより効き目のあるものを積んでいるんだなぁ、BWを狭くしてもリンギングが大人しいんだなぁ・・・ということぐらいしか知りませんでしたが、興味がないので素通りしました。無論、もっときっとスンバラスィ~機能がギュウギュウ詰めなんでしょうが、幾ら何でもそう簡単には買えませんし、アパマンにはちょっと持て余す代物になりますね、きっと。
 ただ、製造過程を説明するビデオは良くできていて、一通り見入ってしまいました。あのビデオが欲しいなぁ

 勢いがあるなぁと思ったのはICOM。今いまのラインナップで結構コンセプト的な選択肢が広いのと、「ICOMらしさ」みたいな部分が一貫しているように思えます。シングルスーパーのHF機を上手く投入すると、先行するKenwoodとヤエスの牙城に食い込めるんじゃないかなぁ・・・とさえ思います。V/Uの耳の良さなど「ウリ」にできる部分もあるわけですから、やはりIC-7410のコンセプト・エラー(と、ここのブログ主は思っています)が悔やまれるといったところでしょうか・・・。

 さて、ヘッポコ講釈はこのぐらいにして、今日のお目当て・・・これはV/Uのオールモード機漁りでしたが、流石に「参加遅すぎ」で良い中古は見つからず終い。そこで、ジャンクを探しつつGHDのキーを弄り倒した挙げ句、全然関係ないモノを購入してきました。



 今回は日栄ムセンさんのお世話になりました。裏に見えている棚の中古品もスカスカ・・・この中でお宝ゲット 「もうちょっとオマケして~」とお願いし、500円だけさらにマケて貰いました。その他、2m/70cmのホイップと電流計をマルツさんで買って、もうお腹一杯・・・と帰路に着きました。



 なるほど、既に来年の日程が書いてあります。来年こそは早めに・・・と思うんですが、出展者が前日設営時を含めて結構商談してしまうことが多いと聞きちょっとゲンナリ・・・こうしたインサイダーをできるだけ抑止してくれると、来る側は張り切って来られるんですがね

 退場時間が丁度隣のイベントの終了時間と重なってしまい、何だか気持ち悪いほど人が一杯いたんで、この写真の左手にある別の出口から出て事なきを得ました。

 さぁ、本日の戦利品は以下の通り。



 何と言ってもクラニシのワットメータ(ダミー内蔵)ですよ キズも少なく、メーター部分には皆無と言えます。
 実は、QRP用のワットメータキット(OAK HILLS WM-2)を先に見つけ、諭吉君+αくらいの値段で売っていたんで買おうか迷ったんですが、ひとまず諦めた後にこいつを発見。同じような値段だし、とても綺麗だったため購入しました。
 目視で0.5Wから100Wまでは読めますから、自分にはピッタリです 30年モノとは思えない面構え・・・きちんと校正した上で、今後の活躍を大いに期待したいと思います。

ALL JA に「CW-QRP部門」があったら・・・

2013-08-23      
 夏期休暇明けで本格的に仕事が忙しくなりましたが、何とか1週間をクリア・・・それにしても、外出はしたくない季節がまだまだ続いていますね

 さて、数日前に今春のALL JAの結果が発表されました。どういう訳か交信局数が1局減らされていましたが、まぁとにかく正式な記録になったわけです。早速、昨年度との比較をしてみたいと思います。「電信部門シングルオペオールバンド CA」の結果から、QRPエントリの局だけ抜き出しました。まずは、昨年度の結果を自分の順位まで抜き出し。



 昨年は12位でした。丁度自分より一つ上の順位の局からが「200局超」ですが、寝倒しのオペレーションを深く反省し()、ひとまず200局超をノルマとしたのが今年のALL JAだったわけです。果たしてその結果は



 何と5位入賞です・・・って、そんな戯言はどうでもいいんですが、まぁまぁの所にランクイン。ところが、昨年の結果を見るとちょっとゲンナリ・・・今年の得点を昨年の結果に当て嵌めて考えると1つしか上がってない勘定に 昨年は、Esが出たお陰で「ハイバンド稼ぎ」が好調だったのに加え、QRPでの出場局も多かったため低めの順位だったと言えそうです。
 ただ、特徴的なのは、同じような得点圏の局が今年はマルチ数を稼げていないのが見て取れます。そういう意味では、「ローバンド増量の勝利」だったと言えそう・・・釣り竿君のセットアップが奏功したってところでしょうか。

 本当に知りたいのは、この中に「アパマン選手」がどれだけいるか・・・なんですが、こればかりは知る由もないですね それにしても、トップクラスの方々・・・6-700局も交信できれば、「QRPってなんだべさ」って思えてきますよね。

※2014/09/24
 何と、この記事を書いた頃までは、JARL主催の大きなコンテストでQRP部門があるのはFDのみかと思っていたんです、実に。題名を替えたい気もしましたが、恥さらしのままにしておきます。


XC8が用意するEEPROM用関数

2013-08-17      
 旅行から帰ってからの3日間の休みも終わって、その後の木、金の2日間は出勤・・・とは言え、まだお盆休みを中心に夏期休暇真っ最中の連中が多いため、比較的ボンヤリと過ごせた2日間でしたが、まぁ暑いのは相変わらずで、都内への外出がちょっと堪えました。いくら「クールビズ」とは言え、ワイシャツとスラックスでは汗がそう簡単には蒸発しませんから、下手をするとあの「灼熱旅行」よりも暑い感じ

 あっという間に週末を迎えて漸く普段の生活に戻った感じで、今日は昼間からあれこれ同時進行ながらも、例のエレキーのプログラミングを進めました。骨格になる部分は大体できてきて、あとはLCD表示を含むメモリ・キーイング周りの部分が残るのみとなりましたが、ここにはEEPROMの読み書きが欠かせません。ところが、この部分のプログラミングは未経験・・・アセンブラ数行で書ける程度なんで、まぁ手作りしても大したことはないんですが、XC8のマニュアルに「関数とマクロ、用意してあるわよ」と書いてあったのを思い出し、どんなコードが吐き出されるのか見てみようとちょっと実験。



 EEPROM内の変数は「__eeprom」を使って定義、読み出しは「eeprom_read」、書き込みは「eeprom_write」という関数を使えるようになっています。「xc.h」のインクルードが大前提です。
 最初この関数に「こんなシンボル無いぞ」というエラー(コンパイルは正常にできるが、IDE上に赤いエラーマークが出る)が付きまとったため閉口しましたが、xc.hのインクリードの直前に「EEPROM_SIZE」というシンボルを以下のようにdefine定義したらエラーが取れました。

#define EEPROM_SIZE   256

 その後は、この定義を外してもどういうわけか大丈夫になっちゃいました。海外で困っている人もいて、「古いMPLAB IDE 8.xxでは上手く行くぞ」・・・みたいなことが書いてあったんですが、まぁひとまずこれで回避できたんで様子見。

 さて、興味津々の展開形です。



 44行・・・うーん、ちょいと冗長です。EEPROM制御レジスタがBANK3であり、一般変数置き場のBANK0との切替が煩雑になっていますね。アセンブラで10行程度の筈なんで、ちょっとなぁ・・・と思いつつも、ちゃんと書込完了を待つ処理も入っていますから、長ささえ気にしなければ使えそうです。今回はこれで目を瞑ろうかな

 ちなみに、コンパイラが引っ張ってくるお便利関数は、「Windows XP」では「C:\Program Files\Microchip\xc8\vx.xx\sources\」の配下に格納されています。他のOSでも似たような場所かと思います。いろいろと参考になりますよ

追記 2013/08/19>
 この書込処理以外に、「__eetoc」「_eecpymem」いう関数が展開されるため、もっとプログラムメモリは食われていました ・・・。場合によっては、自作した方が良いかも。

白い石を運ぶべし!-其の参(了)

2013-08-15      
 八月十一日は、帰りしなに外宮さんに寄ることにした。子供達も何度か訪れているから思い出深いのであろう、このプランには賛成してくれた。

 チェックアウトから鳥羽駅出発までの時間を利用して、手持ちの荷物を片っ端から宅配便にして貰うと、ウソのように何も持たずに済む状態になった。これが有り難かった。昔は、この上に土産を持たされ、何やら荷物運びのアルバイトのような格好になってしまったものだが、今や実にスマートである。11時頃にホテルを出て、またしても宇治山田駅までの移動からスタートだ。

 今回の大移動でさんざん世話になった近鉄ビスタカー・・・やはり、旧式に近い車両がよい。



 この味わいのあるカラーリング・・・と思うのは「自分勝手な思い出のせい」だろうが、まだまだ新型車両より多くこのタイプが走っているのが近鉄の良いところだ。

 この沿線には、アマチュア無線家に馴染み深い山がある。JA2IGY・・・周波数基準のビーコンを発する「朝熊山」である。実は、今回は独りだけもう数泊して朝熊山に登ってみようと画策したのだが、連続休暇日数的に難しくなったため途中で諦めた。そこで、せめて撮影しておこうと山間を走る車窓から朝熊山を狙ってパチリ。



 見えた と思ってシャッターを押すと、木々に隠れてしまうのである。遠ざかりゆく朝熊山に3度もシャッターを押して、それが全て線路脇の木・・・何だか可笑しくなって撮るのを止めてしまった。近い内に、無線機背負ってもう一度来ようと思った次第。

 さて、宇治山田駅からタクシーで外宮前に着けて貰い、早速散策開始・・・本当はお参り主体の筈なんだが、やはり昔行った様々なところを回る方に偏ってしまうのは仕方がないところ。本殿にお参りをする前に、脇道に逸れて「狐の穴」と称する木を見に行った。



 樹齢何年かも解らぬほど太い木の根っこに祠ができている。伯父に言わせると、本当に狐の巣だったというが、まぁ確かに十分住み処として機能するほど大きな穴だ。
 一般の参道から少し脇に入ったところだから、自分が小さい頃は人なんか全く来ないちょっと不気味でもあるところだったが、今日は少し人影が見られる。せめて悪戯などされずに残って欲しいものだ。

 参道に引き返して鳥居を潜る。



 まだ、建って間もない鳥居はやはり綺麗だ。陽が差している部分が輝いていたりする。鏡に代表される「光を放つもの」は、太古にはやはり静かな驚きを誘うものであったに違いない。

 暫く歩くと、本殿前に到着だ。ここで賽銭を投げ入れる。



 苔生した茅葺き屋根と色褪せた鳥居とは対照的に、手前の新しい木の灯籠が目映い。この古い建造物も取り壊されると、全国各地の由緒ある神社に配られる。無論「檜」であるから、太いものならきちんと削り直せばまたしてもピッカピカに蘇り、格好の修繕材料になるのであろう。

 この鳥居の正面に池があり、その左手を上がっていくと3つのお宮・・・多寡宮、風宮、土宮がある。自分のお気に入りは一番手前にある「風宮」だ。



 本殿に比して大変小さなお宮だが、昔からこの佇まいが好きである。蒙古来襲の際には、ここと内宮にある「風日祈宮」で祈祷したところ『神風』が吹き起こり、敵を退けたと言われている。何とも豪快な神が住んでいるようだが、この少し遠慮がちなお宮が風を司るという部分に、子供ながらに「かっこいいなぁ・・・」と思っていたのである。

 既に一度渡ってきた大きな平たい石・・・丁度、風宮の横の地面にあるこの石は、土着の長を祀った古墳の扉と聞く。



 光の加減で判り辛いかも知れないが、縄の影の右側に幾つかポツポツと穴が開いているのが見えるであろう。雨だれで開いたとされる穴だが、果たして同じ箇所に水滴が落ち続けるものなのか・・・というのが子供のころからの謎である。

 参道を戻って、今回初めて「遷宮館」に行ってみた。ここは、ご遷宮の歴史を紹介する映画や、神殿の模型、各種の宝物や捧げもの(勿論、模型ではある)を説明する資料館で、勾玉池の畔に最近(と言っても数年前)にできたらしい。我が「イトトンボの住み処」たる勾玉池を荒らすとは何事 と息巻いても始まらないが、果たして・・・と思ったら、殆どの場所が「撮影禁止」だったので詳細略 まぁ、上映されている映像も綺麗だし、品々の解説は非常に丁寧だし、何と言ってもクーラーが結構効いていて非常に助かった。

 順路の最後が少し勾玉池にせり出すように作られており、一望できるようになっていた。



 写真では綺麗に見えるが、この池の水の透明度はほぼゼロだ。いわゆる「ヤゴ」の宝庫のような池・・・これが勾玉池である。昔は、ミズカマキリやタガメなどのちょいと珍しい水生昆虫がいたり、ヤゴがメダカに食らい付いていたりするのをよく見たものだが、今回そこまでは観察できなかった。
 奥に見える水草の向こうまで池の畔を歩いていくことができ、この辺りにイトトンボが群生していたが、これも確認しなかった。もし一匹も見つけられなかったら・・・と思うと、知らずにいた方が良いように思えたからだ。
 今年はご遷宮を含めて、きっと大勢の観光客で賑わうであろうこの地には、やはりもう少しタイミングを外して来てみようと改めて思った。

 少し遅めの昼食は、宇治山田駅近くの割烹にした。各々好きなものを食べ、自分は勿論 を幾杯か飲むと、そろそろ家路につかなければならない時間となった。



 初日に撮れなかった宇治山田駅の外観も、漸くカメラに収まった。綺麗に修繕されていても、佇まいは昔のままである。子供の頃、伊勢市駅に止まらない列車で帰るときは、ここまで伯母が車で送ってくれた。従兄弟や大好きだったおばあちゃんに手を振って列車が動き出すと、妙にしんみりとしたのを思い出す。そして、次の駅が伊勢市駅・・・ここで下りることができればと、さらに寂しくなってくるのである。今回は正にこの通りの帰路となった。



 車窓に車内が写り込んでしまったが、その向こうに見える伊勢の街、次回は自分のペースでゆっくり来てみようと思う。そして、朝熊山に登り、イトトンボを見、ブリでオニヤンマを捕まえ・・・既に次の「帰郷」のプランは決まったようだ。

白い石を運ぶべし!-閑話

2013-08-15      
 小さい頃は、母の実家を「伊勢」と称していた。その「伊勢」から最寄りの、それこそ2,3分で行ける外宮さん・・・通称「げくさん」(げくうさんときちんと言う人が多いと思う。アクセントを付けるなら、最後の「ん」だけが高い)は、小中学校時代の長い休みの記憶が詰まった場所である。夏休みと冬休みは勿論、春休みにも時々行っていたから、長いときでは1年の内2ヶ月ほどは「伊勢」にいた勘定になる。そして、外宮さんにもほぼ毎日通っていたようなものだ。

 冬休みは大晦日と正月の参拝が中心だ。「伊勢」に着いた次の日には必ず参拝し、正月三箇日、そして帰る日の朝にも参拝するわけだが、冬休みのメイン・イベントは何と言っても大晦日の「どんどん火」である。
 内宮・外宮は、大晦日に限り夜の参拝が認められ、参道のあちこちに火が焚いてあり、そこで長い棒が付いた独特な餅焼き網に丸い餅を挟み入れ、焼いて食べる。無病息災と長寿を願うわけだが、子供にとっては夜中に外で食べる熱い餅は実に美味しい。少し砂糖を付けながら食べると、さらに子供向けの焼き餅になる。
 外宮さんの杜が漆黒となり、焚き火から離れると真っ暗になってしまうから、少し勇気を出して大人と離れて歩くのが手軽な肝試しだ。従兄弟達と手を繋ぎ、足早に歩いて大人から距離を置こうとする度に「こらっ」と叱られ戻ってくる・・・これを飽きもせず繰り返していたわけである。
 子供は22時くらいには帰ってきて年越し蕎麦を少しだけ食べ、NHKの行く年来る年をBGMにして床につき、翌朝は歳の順にお屠蘇を頂いて雑煮を喰らい、またしても参拝・・・初詣に出掛ける。昨夜の焚き火の燃え残りを除けながら参道を歩き、まずは本殿前で賽銭を放り込む。正式とされる二礼・二拍手・一礼とは無縁の「二拍手+あん」(あん・・・は仏壇で拝む時と同じだ)で済ます。
 そして、多寡宮、風宮、土宮を参拝するために踵を返し、亀と鯉の沢山いる池を右手に少し高い方に登っていくが、そこに小さな穴の開いた石が橋のように横たえてある。かなり大きな平たい石だ。
 聞くところによると、外宮裏手の山の天辺には古墳があり、当時天皇がこの地に神宮を建造する際に居た土着民の長を鄭重に弔ったもののようで、その古墳の入り口を閉ざしていた言わば「石の扉」であるらしいが詳しくは知らない。まぁ、自分らにとっては「石に丸い穴が開いている」という所が妙に神秘的で、それも「水滴でできた穴」と教えられたが本当だろうか

 春休みのことは、そもそも毎年行ったわけではないから殆ど覚えていないので端折るとして、やはり何と言っても夏休み・・・専ら、外宮さんは「昆虫採集の場所」と言っていいだろう。
 鳥居に守られた内側では無論、昆虫採集など一切できない。これはかなりきつく言われていたことで、たまたま木々に珍しい甲虫が止まっていてもじっと観察するだけで我慢していたが、鳥居の外は別次元・・・昆虫の宝庫と言って良いだろう。

 まずは単純な話であるが、クマゼミを筆頭にそれこそゴマンと蝉がいる。蝉取り専用の継ぎ柄ができる小さな網で、それこそ簡単に取れる。外宮周辺の木々で取った自己最高記録は1日で101匹也。 詳しいところは省くが、この採集姿が新聞を飾ったこともある(知り合いの新聞記者にポーズを取らされた・・・)。
 捕ってきた蝉は「伊勢の家」に持ち帰り、従兄弟の女の子が持っていた絵柄の入った薄いテープを羽根に貼って逃がす。そして、次の日はそのシールが貼られた蝉が何匹捕れるか勘定すべく、家の周りの木を隈無く探すのである。
 或いは、夕方にシャンプー容器に入れた水を持っていき、アリの巣穴くらいの大きさの穴に片っ端から水を入れると、蝉の幼虫(アナゼミと呼んでいた)が這い出してくる。これを家の中の暗いところに止めておくと夜半頃から羽化を始め、翌日には蝉の成虫になる。殻を破って出てきた直後は白、或いは淡い草色でとても綺麗な蝉を拝めるわけだ。

 次に好きだった昆虫採集は「イトトンボ」だ。外宮さんの直ぐ横にある「勾玉池」の周りには、各種のイトトンボが群生していた。3cmほどの長さの細い胴体にウスバカゲロウのようなか弱い羽を付け、それでも立派にトンボの形をしている。幾種類かおり、真っ黄色や真っ赤なもの、それぞれ色の淡いもの、青いスジがあるもの(これはモノサシトンボ・・・本当に物差しのように、均等な間隔で縦縞がある)など、一度見たら誰でも虜になるだろう。
 こいつも捕まえてくると、「伊勢の庭にある池」の周辺に放してやる。すると、その夏はずっと「伊勢の庭」にイトトンボが行き来するようになるのである。ある年には、翌年の夏に(まだ、勾玉池で捕まえてくる前に)庭で見つけたこともあり、庭に大小三つある池のどこかに産卵し、それが成虫となって飛んでいたものと思われる。

 極めつけは大型のトンボ・・・オニヤンマに代表されるヤンマの類を、仕掛けを投げて捕まえるのだ。

 外宮さんの北御門には昔から駐車場がある。真夏に大挙してくる観光客も、流石に16時を過ぎると観光バスと共に徐々に消えていき、その駐車場は「広場」に様変わりする。この上空10mから20mくらいの所を、夕方の狩猟に出てきたヤンマが悠々と通過していくのである。このヤンマの進行方向の先に「ブリ」と呼ばれる輪ゴムと糸と錘でできた簡単な仕掛けを投げると、錘の部分を小さな昆虫と間違えて捕まえに来る。すると、糸の部分に羽根が絡まって飛べなくなり、くるくると落ちてくるという、にわかには信じられないことが起きるのだ。
 小型のトンボの中でも比較的どう猛なシオカラトンボやムギワラトンボはこの方法で捕まえられるが、アカネ、コシアキトンボ、チョウトンボやオハグロトンボ等々は臆病なため捕まえられず、逆に「ナンチャラヤンマ」の類は殆ど捕まえることができる。投げ方にコツがあるし、上手くすり抜けて逃げていってしまうこともあるから、ボウズの日もあれば、多いときには7,8匹を捕まえられることもある。
 ギンヤンマやヤブヤンマ、サナエの類は、羽根の色で雄雌の見分けが付くから、遠くから飛んでくるヤンマを見つけると、「あ、ギンツのメンタや」(あ、ギンヤンマの雌だ)とかワーワー叫んで追いかけていきヘロヘロになる。そして陽がとっぷりと暮れる頃にのんびり帰ると、心配した祖父や伯父に時に怒られてしまったりもする。

 他にもちょっと珍しい甲虫・・・もうこれ以上詳しくは書かないが、時に希な種を見つけることがあってこれを図鑑で調べて悦に入ったりと、とにかく「ムシ」には事欠かなかったのである。

 もし、内宮と外宮のどっちが好きかと尋ねられたら、今でも迷わず「げくさん」と大きな声で返事をするであろう。

白い石を運ぶべし!-其の弐

2013-08-15      
 八月十日、インチキ神領民にもちゃんと朝が来た。今日が「お白石持ち」の本番である。



 今回の旅行で痛感したが、やはりここのブログ主は写真のセンスがない。同じ構図で3枚も写真を撮る愚行・・・単なる日変化を並べただけだ。オマケに太陽光が写り込んでるし ただまぁ、この通り「ピーカン」だったってことは証明できるだろう。

 今日は伊勢市駅の隣の「宇治山田駅」まで、またしても近鉄に十数分お世話になってやって来た。内宮には「五十鈴川駅」の方が近いが、町を挙げての行事でタクシー利用となればそのルート選択が肝心。伯母に助言を貰い、若干遠回りになるがこの駅を選んだ。



 宇治山田駅は元々、天皇陛下御一行や大臣などの乗降用に作られた駅であり、ご覧の通り中もかなり豪華な作りになっている。外から撮れって・・・暑くて無駄に出やれよかかいな

 内宮と外宮の中間に位置するこの駅のまん前には、大きな催し物ができる「伊勢市観光文化会館」がある。このこけら落としにメインで出演したのが『ピンキーとキラーズ』で(おっと、歳がばれたかな)、何とステージ終了後に花束を渡しに行く役を仰せつかった。年下の従兄弟の女の子が「ポンチョ」に渡す羽目になり、嫌がって泣いていたのを思い出す。このブログ主たるインチキ神領民は、こんな所でも活躍していたわけである。おっと、話を戻そうか。

 お白石は「上せ車」(のぼせぐるま)と呼ばれる山車に乗せられ、これを大勢で引っ張ってくる。出発点は二カ所有り、一つはかなり長い距離を引いてくるが、町によって出発点が振り分けられてしまう。我が「本町」は遠い出発点だから、ジパング団にはちと酷であるため、このブログ主率いる一行は、「内宮の近く(おはらい町の真ん中辺り)まで先回りして「赤福氷」を食べて涼を取りつつ待ち構え、上せ車の最後の最後に「ずっと曳いてきたフリ」で混じる作戦である。実はこの作戦をかなりの方が行うことは判っており、内宮手前で引き綱を伸ばしてくれるというサービスがある。そうでないと、後から混ざった人たちが綱を持てないからだ。
 そんなわけで、半ば悠々と内宮に向かってタクシーに乗った。ところがほんの一部、一般車両通行用に開けてある大通りに上せ車が出てくる所があって、丁度運悪くそいつに出会したため、普段なら十分そこそこの道のりを三十分も掛けて内宮に到着した。

 内宮の入り口脇に赤福の支店がある。本店はそこから200mほど離れたところにあるんだが、とにかく猛暑・・・ジパング団を炎天下に晒さぬよう、その支店の軒先に陣取って赤福氷を平らげた。



 この店にも例の締め飾りがちゃんと飾ってある。伊勢周辺のこの慣わしは、町ぐるみでかなり守られていると言って良いだろう。

 今日合流した叔父がおはらい町を下りていき、どの町の上せ車が近づいてきているのか情報収集してきたところによると、初っ端の上せ車にアクシデントがあり、既に一時間遅れのペース。結局、随分と待たされることを覚悟しなければならなくなったが、ひとまず所定の位置まで移動して日陰で休憩。

 13時半頃に漸く上せ車の姿が見えてきた。既にずっと引いてきたフリで混ざり込む時間になっていたが、ここで休憩に入ったようだ。多分、昼飯用のおにぎりが配られているんだろうが、遠くに先導車の提灯が見えるだけでじっとしている。そして、その横に何とも気になる看板を発見した。



 工学20倍ズームの勝利・・・バッチリ撮れているが、丸焼きなんてあまり「神前」には似つかわしくないと思う反面、昼食時間をとっくに過ぎて「食べてみたいなぁ」と思う気持ちは強かったが、流石にインチキ神領民隊長自ら僥倖を起こすのも・・・とちゃんと我慢をした。 手前に見えるのが、待ち侘びている上せ車の先導車だ。

 14時過ぎ、漸く先導車が緩やかに動き出し、やっと目の前まで綱が到着。先回りした叔父や我が家の子供達を探すと、「エンヤ、エンヤ」のかけ声と共に、程なく無事合流。親戚が増殖し、一気に賑やかになった。上せ車の引き上げは、何となく「伊勢の神宮」を気取って優雅に、或いは厳かに進ませるものを想像するかも知れないが、それは全く当て嵌まらない。このかけ声にチャチャを入れて面白可笑しく、そして元気よく引かせ、時に両側で引いている二本の綱を真ん中に寄っていってぶつけるなど、正に「神社のお祭り」の雰囲気そのものである。
 なお、詳しい模様はYutubeに動画がそれこそ沢山上がっているから、そちらを参照されたし。

 さぁ、ここからなら30分ほどで引き終わり、お目当ての「お白石」を貰っていざ入場・・・と思ったら、急停止。そして暫くすると、遠くから救急車のサイレンが近づいてきた。綱の先頭の方で、具合が悪くなったお年寄りを病院へ搬送したらしい。
 実際、その間にも、明らかに「熱あたり」でモドしちゃってる子供やへたり込んでいるお年寄り、道に寝っ転がって扇いで貰っている人など多数・・・まぁとにかく猛烈に暑い。さらに、一旦歩き出したから軒下に待避することもできず、暑い道の真ん中で待たされるのは流石に辛かった。強い日差しがなかったのが唯一の救い。我がジパング団も結構「キテる」感じだったが、何せ親戚が一堂に会していたから、誰かしらが声を掛けたり水を持ってきたりと気を配ってくれ、事なきを得ているといった有様だった。

 三十分ほど待たされると、今度は本当にゴールたる宇治橋の前まで一気に引き上げるということで、動き出したら結構加速して難なくゴールイン。



 これが苦労して引き上げてきた上せ車の全景だ。本町のマークは日の丸のような「赤い丸」のシンプルなもので、木の車輪と車軸の間にチョークのようなものを差し込んで、「ゴーッ」というかなり大きな音を鳴らして進ませる。他の町では、全く大人しいものや飾り付けが派手なもの、或いは先導車に女性が多く乗って歌と太鼓で優雅に引き上げるものなど、町々によって趣向がある。本町のこの「ゴーッ」という音は、どこか地響きに似た少しおどろおどろしい音で、自分勝手に「歴史」を感じてしまうのである。

 神主がお払いをし、いざ宇治橋を渡って内宮の中へ・・・と言っても、上せ車は流石に入ってこない。宇治橋を渡ったところで石を受け取るのだ。



 宇治橋の左手・・・下流の方に見えるこの場所は、小さい頃に叔父や伯母に連れてきて貰った「川泳ぎ」の場所だ。とても綺麗で水が冷たく、時に蛭(ヒル)がいたりして従兄弟達と大騒ぎしていた所だ。ここは相変わらず泳ぎに来ている人も多く、遠目ではあるが昔のままのように思え、何だかホッとした。

 神宮の中は撮影禁止の場所が多いが、内宮の場合も「ここから先はダメ」という場所がある。逆に、そこまでは撮影自由だから、宇治橋を渡った先で手を清め、そのさらに先にある鳥居の所までが「大勢で出掛けたときの記念撮影ポイント」としてお薦めである。これから参拝される方は、覚えておくと良いかも。

 さて、例の法被の件も片付けておきたい。



 全く構図が変だが、手前に半分写っている法被・・・背中に大きな日の丸をモチーフにしたようなものが本町の法被の主流、その他、神宮の他の行事に合わせて誂えた法被もあり、左の方に写っているような背中の赤い丸が「本町」の形になっていたりするものまで多種多様。ただ、何れも襟の袂に町名が書いてあるから、前から見れば一目瞭然。同じ町の知り合いを捜す目印にもなっている。
 こいつさえ手に入れればインチキ神領民にはなれるから、知り合いの知り合いのそのまた知り合いが伊勢の人なら頼んでみるといい・・・とは言え、次の特別神領民参加は十年ちょっと先の「御木曳」になるわけで、まぁそんなに慌てることはないだろう・・・と思ったら、8月末には外宮のお白石持ちがあるんだった

 肝心の石の写真はないのか・・・そう、撮り忘れた まぁ、子供のこぶし大の小さな白い石だ。こいつを貰って鳥居の前で頭を下げ、いざ中に入っていく。そこからも結構な距離を歩き本殿を目指すのであるが、ここでジパング団がへばってしまったため、参道の横の石に座って暫く休憩。その間に子供達を連れて先に神殿を拝みに行った。撮影不可であるため、ここからは「語り」で。

 総檜造りの神殿は、陽が差すとそれを反射して神々しく見えるほどに仕上げられている。その神殿の前にお白石を置いて、皆「二礼二拍手一礼」をするのである。
 普通に考えれば、まだ神も住んでおられない言わば「空き家」に向かって手を合わせるのは妙な行為だが、八百万の神よろしく、この凛とした神殿もまた「神」として良いのではないかと思えるほど、清浄たる造りに圧倒されるのだ。そこに長居は無用であり、順番に従って去っていかなければならない正に「一遇」の時に幾つか呼吸をして檜の香りを胸に納め、以降二十年の役目を小さな白い石に託す・・・そんな貴重な経験ができること自体、母を含めた親族・親戚があればこそと、漸くこの歳になれば解ってくるのである。

 元気を取り戻したジパング団の石置き完了を待ちつつ、ゆっくりと参集殿に戻った。ここで改めて親戚一同が会することになっていたが、些か時間が押してしまったから一通り「大きくなったなぁ・・・」「おいおい、老けたなぁ・・・」と声を掛け合い、記念撮影をしてわらわらと散会した。そして、内宮での最後の一枚。



 丁度、次の町の上せ車が到着してごった返す人々を背に、完全な逆光状態の宇治橋鳥居である。流石にかなり疲れたため、これも構図がおかしい(って、単に下手なだけ・・・)。この大勢の人々を他所にタクシー乗り場に向かい、10分ほど待たされたものの何とか乗車でき宇治山田駅に戻ってきた。そして、発車時間の近い近鉄特急の切符を買い、またしても15分ほど乗って鳥羽着、送迎バスを待ってホテルに戻ってきた。

 バスでの戻りしな、丁度山裾に夕日が落ちていくところだった。



 走るバスの中からとしては上出来の類だろうが、何でこのタイミングで何やら機械仕掛けのクレーン船が手前にあるんだ 漁港なんだから、もっと漁船らしき船と共に写さんかい・・・といっても、とにかく走っているバスの中だから上等だ。
 昼飯も結局食えずに灼熱に晒されかなりの距離を歩いたんだから、お腹はぺこぺこである。本当ならホテルに着いたらまずは温泉に飛び込んで汗を流してから夕食へ・・・となるはずだったが「全員一致」で食事を優先に。そして、小さい頃に随分遊んで貰った叔父を食事に招待し、昨日より少し賑やかな食事会のスタートである。

 今日のメインディッシュはこれ。



 周辺の貝殻は既に食がかなり進んだことを物語っているが、少し遅れて登場した伊勢エビの活き作りである。言わずもがな、やはり新鮮なものは美味い・・・がそれなりの値段だ。そして、あっという間になくなってしまうのもお決まりである。

 18時頃からスタートした夕食会では、徐々に皆の体力が回復してきて話が弾み、3時間超に至る宴会となった。未だ明日半日の行動と帰路が待っているが、ぶっ倒れない程度に の大を6杯ほど飲んだところでお開きとなり、叔父を送って部屋に戻ると、子供達の「カラオケ行こ~」に圧倒されて調子に乗って歌っていたら温泉の終了時間が迫ってしまい、何と着替えはしたもののそのまま寝る羽目に・・・結局、汗疹ボチボチである が、まぁこの暑さの中病人も出ず、よい一日だったと言ってよいだろう。

白い石を運ぶべし!-其の壱

2013-08-15      
 八月九日の10:03、定刻通りひかり号が発車した。今時、何故ひかり号かって・・・ジパング倶楽部利用者が二人もいたからである。

 比較的早めに予約して上手く席が確保できたこともあり、ボックス席と化した我が一行の内で朝飯抜きの面々は、多摩川を越えた辺りで既に弁当を開き、やや高級なそれをあっという間に平らげる。もっと味わえよぅ・・・と思いつつも、個々に満足顔をしていたんでまぁ仕方がない。自分も出発前に を買い込んで飲み始めたから、なおさら仕方がない・・・っておい
 この日は、既に30℃を超えてかつ湿度の高い日だったから多分富士山は拝めないなぁ・・・と思ったが、案の定全く見えず。東海道新幹線の東京-名古屋間には然したる風光明媚な風景は無いから、ビュンビュン飛んでいく車窓を眺めていてもあまり面白くなく、専らペチャクチャと会話の花が咲くばかり。しかも「2時間」なんてあっという間で名古屋着。下車すると、35℃付近の気温であろう「熱風」と「湿気」が身体を包み込んでくるため、やや急ぎ足で(と言っても、ジパング×2名の歩調に合わせて)近鉄のプラットフォームを目指した。

 最近は切符の手配も殆どネットでできてしまうが、今回初めて「チケットレス」で近鉄の特急券を購入した。カード払いで先に購入し、確証となるホームページの表示データを印刷して持参するとそれが特急券代わりになる。スマホや携帯にそのぺージを表示するだけでも大丈夫との由。初めてのことだったためA4用紙に印字して持参したが、とりわけ出番もなく・・・何れにしても便利な世の中になったもんだ。

 乗り換え時間には思い思いに軽食や菓子を買い込み、自分は無論 と柿の種という「黄金律的飲食物」をさらに買い込んで、12:50に名古屋駅を出発した。

 名古屋駅から次の桑名駅までの間には大小沢山の川を渡っていく。町並みが変わっても、流石に川の数が大幅に変わってしまうことはなく、一際大きな「木曽川」を越えると三重県に突入・・・高校生になる前までは、夏休みと冬休み、オマケに春休みにも通ってきた近鉄名古屋線の車窓は、やはり郷愁に似たノスタルジックな気持ちにさせてくれるのである。おしゃべりの多い我が一行だが、一頻り名古屋までに話を済ませたかのように少し大人しくなってくれたこともあって、暫くはこの妙な気分に心を委ねることができた。

 桑名を越えると、次は四日市。プラントやコンビナートばかりだったこの一帯は、自分が小学生の時分から緩やかに狭まっていき、今ではさほど大きな工業地帯ではなくなった。当時は、学校で習った「全国の公害病」の一つに数えられていた四日市喘息を恐れ、四日市駅で電車のドアが開くと息を止めていたことを思い出す。無論、何の意味もない行動だが、いつも同行していた弟も必至になって息を止めていた表情を思い出した。

 駅名最短の日本一「津」を過ぎると、次は白子だ。この旅行のことを鈴鹿高専出身の会社の若手に話したら、「白子の町は結構変わったと思いますよ」と言われた。昔の何もない駅の風景を思い出しつつ白子駅に着いたら、確かにちょびっと綺麗にはなっていたものの、やはり「発展途上」みたいな感じだった(白子の方、ゴメンナサイね)。

 伊勢中川(ここは祖父の実家がある所)を越えて松阪に着くと、そろそろ周辺の地理が解ってくる。昔から「もうすぐ田舎に着くぞ」という高揚を感じ始める駅であることから、車窓の風景の記憶が濃くなっているとでも言えばいいのか・・・。ここから近鉄山田線に入るわけだが、櫛田川を渡って暫し田んぼを眺めていると、一際大きな「宮川」に差し掛かる。今回のお白石持ちの「白い石」は、この川の上流で拾い集められているわけだが、随分と上流の方に行かないと既に拾えないそうだ。無論、近鉄の鉄橋はかなり下流を渡っているため、河原を見たって白くは見えない。
 宮川を渡れば、もう伊勢市駅は目の前だ。普通列車の停車駅である一つ手前の「宮町」という小さな駅の近くに母の知り合いの家があって、そこにも随分遊びに行ったものだが、既に取り壊されて無くなったらしい。

 そして、一旦列車の旅は伊勢市駅で終え、タクシーに分乗して外宮前の母の実家に向かった。 十八年ものご無沙汰である。



 本当は、駅の表側から歩いて5分くらいの所なんで、別にタクシーでなくても・・・なんだが、例の「ジパング団」(遂にこんな呼称になってしまった)を電車のクーラーで冷えた身体のまま歩かせるのもどうかと思い、駅裏からちょいと遠回り。
 それにしても、このあっさりとした駅名の看板・・・こんなものさえ無い粗末な駅の裏口だったが、真新しいところを見ると、どうやら今回のご遷宮に合わせて付けられたのではあるまいか

 母の実家は本当に外宮の直ぐ傍にある。「本町」という町名からして伊勢市の中心街であることは確かなんだが、昔からあまりパッと開けている雰囲気ではなく、外宮を背負った比較的「大人しい住宅街」といった感じだ。そして、我が愛すべき「田舎」たる母の実家の軒先では、この地方独特の注連飾りが迎えてくれた。



 この注連飾りの由来は他に譲ってしまうが、これを一年中飾っておくという風習が面白いところである。正月には、これのちっこい奴を車の前部に付けて走っちゃう。町中、「締め飾り号」が走っているわけだ。それが、時々道に落ちていたりして結構笑えるが、別にこの笑門の「笑」は「笑い」とは関係ない(興味のある人は自分で調べてね)。

 挨拶を交わして直ぐに仏壇に手を合わせると、懐かしい伯父はタイミング悪く翌日の準備のためにすれ違いで出かけて行ってしまった。すると、伯母と母がマシンガントークを開始。こうなると放っておけばよく、自分はここぞとばかり、滅多にお邪魔しない母の実家にある懐かしいもの・・・掛け軸やら屏風やらといった代物を、片っ端からカメラに収めるという取り組みがあったため、あちこちパチパチ、パチリンコとデジカメに収めるのに忙しかった。そんな中で、絶対に撮っておきたかったのがこれだ。



 何やら怪しげな小さな灯籠・・・お、お値打ちものか というのは全く関係ない。実は、この灯籠の向こうにミドリガメが二匹眠っている。小学校低学年の頃、春先から近所で買ったミドリガメを育てていた。夏休みを迎え、丁寧に運んできた彼らは新居の水槽でずっと元気だった。ところがある日、その水槽に「五十鈴川」で取ってきたサワガニを入れたら、どうやら目を突っつかれたらしく目玉が真っ白になり、数日後に死んでしまった。そして、アイスキャンディーの棒に名前を書いた墓標を立て、この灯籠の後ろに埋めたのだ。
 その年の冬休みに再び遊びに来た際には既にキャンディー棒の墓標は無くなっていたが、それ以来、この灯籠を二匹の墓石と決め、毎度母の実家に来てはこの灯籠を見て、二度と動物は飼わないと誓ったものだ。改めて合掌。

 写真撮影に一段落すると、明日の法被のファッションショー・・・ではなく、身体のサイズに合ったものの奪い合い。自分はかなり大きいものでないと中年太りのお腹が隠れないなぁと笑われる始末 明日の待ち合わせ場所の調整は母任せ。改めて伯母と少し談笑しておいしいブドウを頂くと、そろそろお暇の時間。「ほしたら、また明日・・・」と母の実家を後にした。

 流石に伊勢市駅まで5分くらいの道のり・・・ジパング団を除く一行は駅まで歩くことにした。伊勢市駅前から外宮までの目抜き通りは500mほどだから、それより少し短い距離のそぞろ歩きだ。



 内宮と外宮周辺の主要道路には、奉納された石の灯籠が立っている。手入れが行き届いたものは、夜になると明かりが灯って神宮周辺の風情を醸し出す。ところが、これら灯籠も老朽化著しいことから地震等による倒壊の危険性が指摘され、撤去する旨の事案があるらしい。灯籠には奉納者の名前が刻印されているため、その方々を探して撤去する旨伝えようとしたものの、かなり古いものも存在して連絡が付かず・・・結局この事案も宙に浮いてしまっているようだ。
 観光客としてみれば、折角の灯籠を撤去するなんて・・・と思うが、確かにこんなものが倒れかかってきたら・・・と思うと、そうそう簡単に「反対派」にはなれない。

 慣れ親しんだ伊勢市駅の古い駅舎は、見事にリニューアルされていた。



 まぁ、何となく綺麗に塗った・・・といった気がしないでもないが、大勢が行き交う割にはパッとしなかった伊勢市駅も、そこそこの面構えにはなっただろうか。個人的には、あの階段が傾斜して下りるのが怖かった昔の駅の方がしっくり来るが、これも「移り変わり」として受け止めていくべきことなんだろう。

 今日、明日の宿は鳥羽のホテルに取った。伊勢市から20分も掛からないこの地も、小さい頃のノスタルジアが詰まった街だ。漁港であることから海の幸は豊富、水族館を始めとする施設もあって毎年多くの観光客で賑わっている・・・と思う。そして、これまた母の知り合いに気を配って頂き、良い部屋を用意して貰った。
 とにかく暑かった一日、荷物を置くと直ぐに温泉へ直行し、ほっと一息つけば既に夕暮れである。夜の帳が迫る鳥羽の海を記念に一枚。眼下に海、島を見渡せるという何とも豪勢な「お泊まり」である。



 夕食はバイキング。我が家の子供達(といっても、結構大きいが・・・)は育ちの良さを発揮して()それこそてんこ盛りにいろんなものを持ってきては平らげ、それを繰り返す有様。かく言う自分は、 をグビグビと飲み干してはウェイターが困るほど何杯もお代わり・・・我が家の名誉のため、この模様は伏せておくことにする。

 本日の締め括りは「夜の海」だ。



 初めての夜景撮影・・・慣れないシャッタースピードで手元がぶれているが、眼前の島の明かりが波に写る様が大変美しかった。明日に備え、夜半過ぎには床についた。
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アパマンというハンデにさらにQRPまで課し、失敗連続のヘッポコリグや周辺機器の製作・・・趣味というより「荒行」か!?

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