失敗LOを復活させよう
2015-08-30
何やら急に気温が下がって、うっかりすると風邪を引くような肌寒いほどの気候になりました。何といってもまだ8月ですから、9月の残暑を含めて考えればもう一山、二山の暑さは覚悟していますが、それにしても涼しく過ごし易い週末。昨日はちょっと別のことに没頭していたんですが、夜が更けてふっと「失敗LO」の件に終止符を打とうと、中華DDSには少々オーバクロック気味である「190MHz」のLOの実験を行いました。
実験と言っても、36MHzの5逓倍で作った実験用のLOの水晶を換装する(38MHzに載せ替える)だけなんですが、これがどういう訳か上手く動きません。例によって「aitendo」で10個150円の代物なんで気兼ねなく換装を繰り返しましたが、3逓倍と妙な寄生発振を繰り返すのみで5逓倍動作確認できません。ちょっとくたびれてしまい、工作机の上でいじけている「失敗LO」・・・出力電力が少々足りなかった発振回路を眺め回しながら、「涼しいし、そろそろ寝ようかなぁ・・・」などと呆けていたんですが、どうせ「お取り潰し」になるこの回路のバッファ部分のゲインが実際どのくらいまで高められるのか・・・という部分に着目してちょっと見直してみることにしました。

直前の記事にも書いた通り、上図のバッファアンプのゲインは2SC3776のfT(=3GHz)から考えて171MHz付近でも10数dBはあるだろうと思ったら10dB程度しかなく、タンク回路のリンクの結合度合い(実は7Kボビン内のリンクコイルがタンクコイルと最も離れるように巻いている)を含めた「インピーダンス変換度合い」を疑って、矢印部分に小容量コンデンサを接続して出力電力を測定してみたら「-8dBm程度」が確認できたところで放り出したんですが、この部分の「最適化」を施したらどうなるか・・・寝しなに軽くのつもりでやってみました。
まずは、矢印の部分に接続するコンデンサの値。トリマを接続して探っていくと、かなり小さな容量で最大出力が得られることが判りました。同調との兼ね合いがありますから、この状態でボビンのコアを回して同調点を探るとコアが抜け切ってしまいました
そこで、同調容量も可変として追い込んでいくと、矢印部分へ接続するコンデンサが4pF、同調容量が1pFほどで最大出力-4dBmを得ました。早速、基板にきちんと直付けして測定すると、-3dBmを若干上回る程度まで出力アップ
これなら、実験的にDDSにつないで実験できるレベルです。
時計を見ると午前0時過ぎ・・・それでも、DDSにつないで試したくて実験継続。10MHz/30MHzの発振テスト用に準備してある環境のLOとして換装すると、見事に発振を確認できました。0.04Hz刻みで発信できる周波数を選んで作ったLOですから、PICのプログラムを書き換えてトリマを調整すると、10MHzピッタリに合わせ込むことが出来ました。そのまま通電しっぱなしで朝まで放っておくと、4Hzほどズレていましたがまずまず安定動作・・・やはり、LOとしての資質は高いなぁと自画自賛
朝からはスプリアスをある程度観測しようとAPB-3で味見・・・後々の比較データとして、画面イメージを貼り付けておきましょう。最初は10MHz発振時の高調波の様子。

実験用の5逓倍LOを使った場合と比較すると、第三高調波が非常に小さくなっています。この辺りは実験環境依存で随分様子が変わるんで、とりあえずノイズフロアで「互角」とでもしておきましょう。次に、30MHz発振時の近接スプリアスです。

これは、5逓倍LO使用時の同条件の測定データと比較すると一目瞭然で、ノイズフロアが軒並み-120dBを下回っています。逆に、思いっきり「スプリアス」と見て取れる信号が現れました(青いマーカのところ)が、これも大凡-100dB程度・・・総じて綺麗になったと言えますね。では、若干広めの様子を見てましょう。

ちょっと嫌な感じですね
これは、5逓倍LO使用時の同条件の測定データと比較しても劣化しているように感じます。この辺りが今後の改善課題になるということですね。
序でに、比較のために10MHz近傍の様子をアップしておきます。
<10MHz近接スプリアス:10KHzスパン、RBW:30Hz>

<10MHz近接スプリアス:10MHzスパン、RBW:3KHz>

上記の通りデータ取りは終了。これらのデータを見返しながら「失敗LOはひょっとすると使えるんじゃないか」・・・ということで、少し改善を施しました。

・出力タンクコイル周辺の改善(前述)
・局発用の水晶の発振周波数微調用コンデンサを40pF⇒20pFに変更
(調整が楽になる)
・ダイオードダブラの直流逃がし用のRFCをマイクロインダクタに変更
(FT225で171MHz付近のインピーダンスを稼いでみたが、
インダクタに変更しても変化がないため安価なインダクタ採用)
・バッファまでの電源ラインが若干長いためパスコン追加
今回のSG構想では、信号源を2つ持つこと・・・即ち中華DDSを2つ同時に動かすことから、個々のDDSに対してカタログスペックとして明示されている「DDS供給電力として確実に1VP-P を超える電圧供給」を前提にしたく、この辺りを考えながら「軽いアンプ+デバイダ」の部分を用意すれば、この「一旦は没」となったLOを使えそうです。
また、残り15本程ある2SC3776については、周波数高めのLOやバッファアンプには気軽に使える扱い易いデバイスであることが判りました。今回の回路でも、171MHzで凡そ20dBのゲインを持つバッファアンプが完成・・・これが確認できただけでも自分にとっては大きな収穫、まずまず充実した「工作の週末」でした
実験と言っても、36MHzの5逓倍で作った実験用のLOの水晶を換装する(38MHzに載せ替える)だけなんですが、これがどういう訳か上手く動きません。例によって「aitendo」で10個150円の代物なんで気兼ねなく換装を繰り返しましたが、3逓倍と妙な寄生発振を繰り返すのみで5逓倍動作確認できません。ちょっとくたびれてしまい、工作机の上でいじけている「失敗LO」・・・出力電力が少々足りなかった発振回路を眺め回しながら、「涼しいし、そろそろ寝ようかなぁ・・・」などと呆けていたんですが、どうせ「お取り潰し」になるこの回路のバッファ部分のゲインが実際どのくらいまで高められるのか・・・という部分に着目してちょっと見直してみることにしました。

直前の記事にも書いた通り、上図のバッファアンプのゲインは2SC3776のfT(=3GHz)から考えて171MHz付近でも10数dBはあるだろうと思ったら10dB程度しかなく、タンク回路のリンクの結合度合い(実は7Kボビン内のリンクコイルがタンクコイルと最も離れるように巻いている)を含めた「インピーダンス変換度合い」を疑って、矢印部分に小容量コンデンサを接続して出力電力を測定してみたら「-8dBm程度」が確認できたところで放り出したんですが、この部分の「最適化」を施したらどうなるか・・・寝しなに軽くのつもりでやってみました。
まずは、矢印の部分に接続するコンデンサの値。トリマを接続して探っていくと、かなり小さな容量で最大出力が得られることが判りました。同調との兼ね合いがありますから、この状態でボビンのコアを回して同調点を探るとコアが抜け切ってしまいました


時計を見ると午前0時過ぎ・・・それでも、DDSにつないで試したくて実験継続。10MHz/30MHzの発振テスト用に準備してある環境のLOとして換装すると、見事に発振を確認できました。0.04Hz刻みで発信できる周波数を選んで作ったLOですから、PICのプログラムを書き換えてトリマを調整すると、10MHzピッタリに合わせ込むことが出来ました。そのまま通電しっぱなしで朝まで放っておくと、4Hzほどズレていましたがまずまず安定動作・・・やはり、LOとしての資質は高いなぁと自画自賛

朝からはスプリアスをある程度観測しようとAPB-3で味見・・・後々の比較データとして、画面イメージを貼り付けておきましょう。最初は10MHz発振時の高調波の様子。

実験用の5逓倍LOを使った場合と比較すると、第三高調波が非常に小さくなっています。この辺りは実験環境依存で随分様子が変わるんで、とりあえずノイズフロアで「互角」とでもしておきましょう。次に、30MHz発振時の近接スプリアスです。

これは、5逓倍LO使用時の同条件の測定データと比較すると一目瞭然で、ノイズフロアが軒並み-120dBを下回っています。逆に、思いっきり「スプリアス」と見て取れる信号が現れました(青いマーカのところ)が、これも大凡-100dB程度・・・総じて綺麗になったと言えますね。では、若干広めの様子を見てましょう。

ちょっと嫌な感じですね

序でに、比較のために10MHz近傍の様子をアップしておきます。
<10MHz近接スプリアス:10KHzスパン、RBW:30Hz>

<10MHz近接スプリアス:10MHzスパン、RBW:3KHz>

上記の通りデータ取りは終了。これらのデータを見返しながら「失敗LOはひょっとすると使えるんじゃないか」・・・ということで、少し改善を施しました。

・出力タンクコイル周辺の改善(前述)
・局発用の水晶の発振周波数微調用コンデンサを40pF⇒20pFに変更
(調整が楽になる)
・ダイオードダブラの直流逃がし用のRFCをマイクロインダクタに変更
(FT225で171MHz付近のインピーダンスを稼いでみたが、
インダクタに変更しても変化がないため安価なインダクタ採用)
・バッファまでの電源ラインが若干長いためパスコン追加
今回のSG構想では、信号源を2つ持つこと・・・即ち中華DDSを2つ同時に動かすことから、個々のDDSに対してカタログスペックとして明示されている「DDS供給電力として確実に1VP-P を超える電圧供給」を前提にしたく、この辺りを考えながら「軽いアンプ+デバイダ」の部分を用意すれば、この「一旦は没」となったLOを使えそうです。
また、残り15本程ある2SC3776については、周波数高めのLOやバッファアンプには気軽に使える扱い易いデバイスであることが判りました。今回の回路でも、171MHzで凡そ20dBのゲインを持つバッファアンプが完成・・・これが確認できただけでも自分にとっては大きな収穫、まずまず充実した「工作の週末」でした

DDS用外部LOの失敗
2015-08-24
先週末はハムフェアでしたが、今年は結局行かず終い。そもそも少し前から行くか否か迷っていたものの、土曜日の時点で「日曜に行こう」とは思ったんですが、中華DDSの外部クロックの「ちゃんとした版」に手を染めたらそちらの方にのめり込んでしまったというオチ
その上、あまり芳しくない結果・・・まぁこれも「修行の一幕」として、この記事にまとめておきましょうかね。
DDSの外部LOは、制御するPICに無茶な計算(乗算)をさせないように「キリの良い周波数」で発振させようと以前から画策し、「171.79869184MHz」(0.04Hzの2^32倍)を得るために28.3636MHzの水晶を6逓倍して近似の周波数を得て微調整しよう・・・と考えました。回路上の各部位に課題はありましたが、安定な3逓倍回路や7Kボビンによる171MHzのBPFなどの実験を経て回路を引いた上で、割と自信を持って組んだのがこの勇姿。

これは非常に安定に発振したものの、結果的に「とある部分」の考慮漏れで出力が全然足りないことに・・・。後学のために、回路図に実測した信号レベルをを付記したものを晒しておきます。

まず、最初の発振出力レベルはギリギリの及第点・・・ダイオードダブラへの印加レベルとしては+7dBm以上が良いよう(@トロ活)ですが、+2dBmくらいでも10dBダウン程度の「2逓倍」された出力が出るはずと予測(これも@トロ活)。すると、凡そ12dBダウン程度の出力が得られました(後続のATTを加味して凡そ15dBダウン)。
さて、ここですっかり忘れていたのが7KボビンのBPFのロス
このBPFで凡そ10dBほどロスっています
何たる設計ミス・・・。さらにバッファアンプのゲインが10dB程度しかない・・・ということで、結果的に-14dBmという何ともひ弱な出力となってしまいました
この後、終段のタンク回路のインピーダンス変換度合いを疑って、図中の矢印の部分から小容量(39pF)のコンデンサで出力すると、-8dBm程度まで出力は上昇(これでこのバッファのゲインは+15dBほどとなりほぼ設計通り)したものの、+数dBm欲しいところでは梨の礫
折角検証したBPFのロスの考慮漏れでこの回路は「没」になりましたが、皮肉なことに非常に安定して発振しています。折角ですから、この辺りの様子も「スペアナモドキ」で覗いてみました。まずは発振周波数付近。

近傍には特にスプリアスは無さそう。続いて500MHzまで。

環境依存の200MHz帯の2本(20MHz辺りと50MHzちょい上の奴もそうです)を除くと、2逓倍前の信号(約-48dBm)と2倍高調波(約-40dBm)が見えており、前者はダイオードダブラの横に仮置きでシールド板を立てると(一番上のスナップで広めの「空き地」があるところ)、ノイズフロアと同レベルまで落ちました。つまり、出力レベル以外は「総じて良好なLOが出来た」ということ・・・本当に残念無念
この回路の出力不足はそれこそ「もう一石」で解決できますが、直前の実験で「5逓倍の180MHz」でDDSを動かすことが出来たことも踏まえて考えると、DDSの発振対象周波数帯にスプリアスが存在しない「一気にローカル発振方式」も魅力的
DDS制御のPICを高速に動かして、「乗算」(或いは、乗算っぽいソフト論理)を背負わせてもいいかなぁ・・・と思い始めました。実際の計算ロジックの処理速度を測定してみようかな

DDSの外部LOは、制御するPICに無茶な計算(乗算)をさせないように「キリの良い周波数」で発振させようと以前から画策し、「171.79869184MHz」(0.04Hzの2^32倍)を得るために28.3636MHzの水晶を6逓倍して近似の周波数を得て微調整しよう・・・と考えました。回路上の各部位に課題はありましたが、安定な3逓倍回路や7Kボビンによる171MHzのBPFなどの実験を経て回路を引いた上で、割と自信を持って組んだのがこの勇姿。

これは非常に安定に発振したものの、結果的に「とある部分」の考慮漏れで出力が全然足りないことに・・・。後学のために、回路図に実測した信号レベルをを付記したものを晒しておきます。

まず、最初の発振出力レベルはギリギリの及第点・・・ダイオードダブラへの印加レベルとしては+7dBm以上が良いよう(@トロ活)ですが、+2dBmくらいでも10dBダウン程度の「2逓倍」された出力が出るはずと予測(これも@トロ活)。すると、凡そ12dBダウン程度の出力が得られました(後続のATTを加味して凡そ15dBダウン)。
さて、ここですっかり忘れていたのが7KボビンのBPFのロス



この後、終段のタンク回路のインピーダンス変換度合いを疑って、図中の矢印の部分から小容量(39pF)のコンデンサで出力すると、-8dBm程度まで出力は上昇(これでこのバッファのゲインは+15dBほどとなりほぼ設計通り)したものの、+数dBm欲しいところでは梨の礫

折角検証したBPFのロスの考慮漏れでこの回路は「没」になりましたが、皮肉なことに非常に安定して発振しています。折角ですから、この辺りの様子も「スペアナモドキ」で覗いてみました。まずは発振周波数付近。

近傍には特にスプリアスは無さそう。続いて500MHzまで。

環境依存の200MHz帯の2本(20MHz辺りと50MHzちょい上の奴もそうです)を除くと、2逓倍前の信号(約-48dBm)と2倍高調波(約-40dBm)が見えており、前者はダイオードダブラの横に仮置きでシールド板を立てると(一番上のスナップで広めの「空き地」があるところ)、ノイズフロアと同レベルまで落ちました。つまり、出力レベル以外は「総じて良好なLOが出来た」ということ・・・本当に残念無念

この回路の出力不足はそれこそ「もう一石」で解決できますが、直前の実験で「5逓倍の180MHz」でDDSを動かすことが出来たことも踏まえて考えると、DDSの発振対象周波数帯にスプリアスが存在しない「一気にローカル発振方式」も魅力的


中華DDSの外部クロック化
2015-08-16
長かった夏休みも最終日・・・家族旅行を過ごしてからちょっとバテ気味となってしまい、夏休み後半はゴロゴロして過ごしてしまいました。明日からはまたしても憂鬱な仕事・・・我が生業たる「キャリア系通信」のシェアはある意味かなり深刻な不況(開発関連は完全にシュリンクしています・・・)に苛まれている状況で先が見えず、立場上致し方のない会議、会議の日々が続きそう。気分だけでも普段の自分を取り戻さなければと思い、今日はDDS関連の実験を進めることにしました。1134KHz(文化放送)をバックに実験を進めていると漸く夏休み気分が抜けてきて、普段の日曜日気分に切り替えることができた・・・というわけで、今日のDDS実験についてまとめておこうと思います。
今日の実験の「肝」というかこれが上手くいかないと話にならんという最初のハードルは、水晶発振器を取り外した中華DDSモジュールに外部から180MHzのクロックを与えて動かすところです。クロック発振回路自体は夏休み前に既に試作済みであり、これをブレッドボード上に配置したモジュールと接続して動かすというあまり難易度の高くない作業ですが、バラックでの仕立て故に上手くクロックが供給できるのか・・・というか、結構周波数の高い発振回路が安定して発振するのかがポイントです。

接続は難なく終了。ところがここでうっかり6逓倍モードのまま動作させてしまい、何やら全く安定しない出力が出てきたため発振回路のタンク回路を少し弄ったら、5逓倍の180MHz発振が3逓倍になってしまって遠回り
発振回路部分を一旦取り外して180MHzで発振するように再調整したところで逓倍モードの設定ミスに気づき、PICのプログラムを修正して漸くまともに動くようになりました。

DDSモジュールの出力に10dBのアッテネータをかましています。高調波の様子は、クロック搭載状態のものとほぼ変わらないということが判りました。
さて、この外部クロックによる6逓倍を使わない場合のメリットは近接スプリアスに現れるものと考え、さらに実験を続けました。発振周波数は凡そ30MHz(ピッタリには調整していません)、10KHzスパン、RBWは20Hzです。
<6逓倍>

<外部クロック>

ノイズフロアのザワツキが、外部クロックの方が少ないことが判ります。それでは、もう少しスパンの範囲を広げてみましょう。以下、10MHzスパン、RBWは3KHzです。
<6逓倍>

<外部クロック>

これは判り易いですね。外部クロックの方は発振周波数の周辺(±1MHz)が大人しくなっています。時折「ヒゲ」が見えますが、この原因はクロック云々ではないような気がします。この辺りはもう少し高周波的に落ち着けないと評価できませんが、何れにせよ発振周波数周辺のノイズフロアは、外部クロックの方が5~10dB程度有利と言えそうです。今回は、このモジュールでSGを製作する予定ですので、やはりモジュール搭載の水晶発振器には立ち退いて貰おうと思います
夏休み最終日も20時を回りました。DDS実験の首尾は上々・・・残り数時間は、填まっているオンゲーで過ごしたいと思います
今日の実験の「肝」というかこれが上手くいかないと話にならんという最初のハードルは、水晶発振器を取り外した中華DDSモジュールに外部から180MHzのクロックを与えて動かすところです。クロック発振回路自体は夏休み前に既に試作済みであり、これをブレッドボード上に配置したモジュールと接続して動かすというあまり難易度の高くない作業ですが、バラックでの仕立て故に上手くクロックが供給できるのか・・・というか、結構周波数の高い発振回路が安定して発振するのかがポイントです。

接続は難なく終了。ところがここでうっかり6逓倍モードのまま動作させてしまい、何やら全く安定しない出力が出てきたため発振回路のタンク回路を少し弄ったら、5逓倍の180MHz発振が3逓倍になってしまって遠回り


DDSモジュールの出力に10dBのアッテネータをかましています。高調波の様子は、クロック搭載状態のものとほぼ変わらないということが判りました。
さて、この外部クロックによる6逓倍を使わない場合のメリットは近接スプリアスに現れるものと考え、さらに実験を続けました。発振周波数は凡そ30MHz(ピッタリには調整していません)、10KHzスパン、RBWは20Hzです。
<6逓倍>

<外部クロック>

ノイズフロアのザワツキが、外部クロックの方が少ないことが判ります。それでは、もう少しスパンの範囲を広げてみましょう。以下、10MHzスパン、RBWは3KHzです。
<6逓倍>

<外部クロック>

これは判り易いですね。外部クロックの方は発振周波数の周辺(±1MHz)が大人しくなっています。時折「ヒゲ」が見えますが、この原因はクロック云々ではないような気がします。この辺りはもう少し高周波的に落ち着けないと評価できませんが、何れにせよ発振周波数周辺のノイズフロアは、外部クロックの方が5~10dB程度有利と言えそうです。今回は、このモジュールでSGを製作する予定ですので、やはりモジュール搭載の水晶発振器には立ち退いて貰おうと思います

夏休み最終日も20時を回りました。DDS実験の首尾は上々・・・残り数時間は、填まっているオンゲーで過ごしたいと思います

中禅寺湖畔と改修中の陽明門(後編)
2015-08-14
中善寺から小一時間の漫ろ歩きの末、漸く辿り着いた。

お洒落な立て札のあまり、この大きさのスナップでは何が書いてあるか判らない・・・イタリア大使館別荘記念公園に到着した。湖畔にほど近いところにある落ち着いた雰囲気の木造の建物が旧別荘、その周辺を公園に仕立てた感じだ。
別荘から見下ろす形で中禅寺湖が見える。開け放した窓から涼しい風が吹き抜け、実にゆったりとした時間が流れる。右手に見える男体山をスナップに納めてみた。

雨粒を孕んだような雲が刻々と形を変えながらゆく様は、長く眺めていても飽きない。広い縁側に背の長い椅子が置かれ、我ら一同、大いに寛いだ。孫娘も小一時間のお昼寝・・・流石に随分と歩いてきたから、ぐっすり眠ったようだ。
そうそう、この建物の内装も小洒落ていて好ましい。

洗練された内装の雰囲気を上手く撮ったと思ったら、右下に娘の頭が写り込んでいた・・・やれやれ。
1時間あまりの「長逗留」となった旧別荘を後にし、ホテルの方向に引き返した。今回は東武バス周遊付きの切符を持っていたから、公園入り口に近いバス停から2停留所ほど戻り、そこから少し歩いたところにあるレストランで遅めの昼食となった。自分は、鹿肉の燻製でビールを飲んだ。そして、ホテルを通り抜けてこれまた歩いて行ける距離にある「日光自然博物館」に行った。
この博物館は、文字通り日光の自然を紹介してくれる博物館で、15分程にまとめられた日光の自然を納めた映画を上映している。かなり大きなスクリーンに映し出される綺麗な映像・・・な筈なんだが、始まって暫くしたらビールのほろ酔いで不覚にも眠ってしまった・・・。
展示自体は、勿論日光に生息する動植物の紹介であるが、昆虫好きの自分にとっては珍妙奇っ怪なる昆虫は見つけられず少しガッカリだったが、それでもルリボシヤンマの標本をしげしげと眺めたり、案外難しいクイズマシンの問題を解くのに窮したりしていた。
頃合いの時間となり、またしてもお菓子を買い込みつつホテルに戻り、昨日同様にワイワイガヤガヤとしゃべり、温泉に浸かり、美味しい夕食を頂けば、あとは銘々のペースで眠りにつくのがよい。歩いたのは然したる距離でもないが、なだらかな上り坂を都合2時間歩いたのがちょっと堪えたのか、23時くらいには眠ってしまった。1時頃にふと覚醒すると、外は結構な豪雨。そうそう、今回はずっと曇天ではあるものの、上手いこと降られていないのが幸いだ。その雨音を聞きながら中途半端に目が覚めたことを後悔したが、やはり結構疲れていたのであろうか案外直ぐに寝てしまった。
3日目・・・最後のイベントである東照宮巡り。10時頃までホテルでゆっくり過ごし、いろは坂を下ること20分あまりで最寄りのバス停「西参道」に到着した。そこから表参道を目指し、表参道に至ってはかなり長い上り坂を「老人ペース」で上っていった。

茶の間で人気だったお馴染みの時代劇で全国区となった「葵の紋」を頂く「社号標」が参道の右側でお出迎えだ。鳥居を潜ってさらに急勾配を少し上っていくと左手に五重塔、そして漸く入り口に辿り着く。入館料を払って階段を上がると表門、さらにそいつを潜ると、最初に見られるのが有名な「三猿」である。

右から「見ざる・言わざる・聞かざる」・・・実物は思いの外小さいが、滑稽な表情と手足の造形が皆に愛される所以であろう。この左右にも様々な「猿たち」がいて、一つひとつを楽しむことができる。
振り向くと「上神庫」と呼ばれる建物があるが、こちらは日本人好みの「わび・さび」とはほど遠い、それこそキンキラキン・・・「これぞ、東照宮」といった構えが見られる。

言葉では表せないこの煌びやかな感じは個人的には好みでないものの、徳川の栄誉をここまで誇示したのは、それはそれで凄いことだとは思う。勿論、建立当時にはそれこそ畏怖と羨望を突きつけるに十分だったに違いない。
鳥居を潜れば陽明門は直ぐそこだ。歩みを進めると・・・

ほっかむりをした陽明門が見えた。そう、ただ今「平成の大修理」の真っ最中。平成31年の3月一杯まで凡そ6年にも及ぶまさに「大修理」だ。実はこのこと自体は行く前から知ってはいたが、どこの改修工事と間違えたのか「既に終わっている」と思い込み、ろくに確認せずに来てしまったのだ・・・。
気を取り直して、この工事中の陽明門(ある意味、これも特別なことではあるに違いない)を潜り抜けると、いよいよ本殿前の「唐門」が見えてくる。唐門の前は混雑が酷かったため、またしても右の方に流れて撮ってみた。

無人にすることはできなかったし、側方に捌け過ぎて唐門の全貌が写せていない。まぁ、本殿との関係は判り易いとは言えよう。豪華絢爛たるこの佇まいは、外国の人々にはウケること間違い無しだろう。
今回の東照宮来訪で確認したかったのが、「眠猫は思いの外小さい」ということだ。この旅行に同行した愚弟が、修学旅行の時の印象で「何だかえらく小さかった」という印象を強調する毎に、その5年前には見た筈の自分の記憶にこれっぽっちも残っていなかったことが癪にさわったからだ。
果たして彼女(なのかどうかは判らぬ)は、確かに非常に小さかったのだ。

周辺に比較できる物がないんで正確には解らんが、せいぜい横幅15cmくらいであろう。クッと眼を閉じるそれは、欄間の装飾として何百年も眠り続けていたのであろう。
この眠猫を潜り抜けると本殿の上にある奥宮にも行けるのだが、三百段あまりの階段が億劫で止めてしまった。我が一行の若い衆はさっさと上ってきたようだった。
この後、本殿にある「鳴竜」の音を聞いた。確か修学旅行の際には、皆で手を叩いたり大きな声を上げたりして通過した記憶があるが、今回はきちんと説明をしてくれる人がおり、拍子木を鳴らして聞かせる形になっていた。竜の頭の下でしかその不思議な反響が起こらない作りになっているのだが、これは意図してそうしたのだろうか。
鳴竜の直ぐ横で小さな鈴の守りを買った。この鈴は、さらに小さな鈴が中に密閉されており、何とも不思議な音を奏でる物だ。幾色の中から緑を選んだ。
東照宮巡りは2時間余りで終えた。転ばぬようにと声を掛けながら結構急な坂をバス通りまで下っていくと信号渋滞が見えたが、ほど近いバス停でほんの5分程待っていたら東武日光駅行きが来た。これに乗車して駅までは10分程で到着した。

ここから遅めの昼食へ・・・「湯葉、湯葉・・・」と念仏のように唱えていると、伯父貴と母が駅の案内所で頃合いの場所にある食堂を聞き出してくれた。駅から5分程のところにあるちょっと不思議な佇まいのお店で、入りしな「大丈夫かな、ここ・・・」などとちょっと引いてしまったものの、出てきた湯葉料理と天ぷら蕎麦が大変美味しかった。皆、一様に満足の昼食となった。ありがとう、案内所の人。
駅に戻りしな土産を買って駅前のベンチで孫娘を囲んでいたら、早くも車組の息子家族が帰路に着くことに。暫し別れを惜しんだら、今度は我が電車組も発車の時間となった。下今市で特急に乗り換えた後の車内では、少々くたびれ気味の連中が「寝落ち」していったが、自分は伯父貴とあれこれ四方山話に花を咲かせていたら、あっという間に浅草に着いた。
時刻は18時。数時間前に食べた昼食が未だお腹に残っている感じもするが、それでも食いしん坊なご一行はやはり「夕飯は夕飯」として食べちゃうのである。

何ともメチャメチャなスナップであるが、まぁ良かろう。このように、窓からスカイツリーが見えるレストランで、またしても美味い料理に舌鼓を打ち、旅程を振り返って談笑してから伯父貴と別れ、我が家の住人は電車での帰宅となった。この後、丸3日間エアコンを入れていない家の温度(居間の温度が34度だった)を2時間程して下げるのは、こうした夏休みの家族旅行恒例のことだ。
そして、徐々に温度が下がっていく部屋の中、自分の布団に転がる幸せを感じながら、あっという間だった今年の家族旅行を一人振り返る・・・とこういけば、この旅行記も大団円で終わるわけだが、部下からの急なメールに気付いて一気に現実に引き戻された・・・。まぁ、こんなものだな。
さぁ、来年は何処へ行こうか・・・って、幾ら何でも未だ早いな。

お洒落な立て札のあまり、この大きさのスナップでは何が書いてあるか判らない・・・イタリア大使館別荘記念公園に到着した。湖畔にほど近いところにある落ち着いた雰囲気の木造の建物が旧別荘、その周辺を公園に仕立てた感じだ。
別荘から見下ろす形で中禅寺湖が見える。開け放した窓から涼しい風が吹き抜け、実にゆったりとした時間が流れる。右手に見える男体山をスナップに納めてみた。

雨粒を孕んだような雲が刻々と形を変えながらゆく様は、長く眺めていても飽きない。広い縁側に背の長い椅子が置かれ、我ら一同、大いに寛いだ。孫娘も小一時間のお昼寝・・・流石に随分と歩いてきたから、ぐっすり眠ったようだ。
そうそう、この建物の内装も小洒落ていて好ましい。

洗練された内装の雰囲気を上手く撮ったと思ったら、右下に娘の頭が写り込んでいた・・・やれやれ。
1時間あまりの「長逗留」となった旧別荘を後にし、ホテルの方向に引き返した。今回は東武バス周遊付きの切符を持っていたから、公園入り口に近いバス停から2停留所ほど戻り、そこから少し歩いたところにあるレストランで遅めの昼食となった。自分は、鹿肉の燻製でビールを飲んだ。そして、ホテルを通り抜けてこれまた歩いて行ける距離にある「日光自然博物館」に行った。
この博物館は、文字通り日光の自然を紹介してくれる博物館で、15分程にまとめられた日光の自然を納めた映画を上映している。かなり大きなスクリーンに映し出される綺麗な映像・・・な筈なんだが、始まって暫くしたらビールのほろ酔いで不覚にも眠ってしまった・・・。
展示自体は、勿論日光に生息する動植物の紹介であるが、昆虫好きの自分にとっては珍妙奇っ怪なる昆虫は見つけられず少しガッカリだったが、それでもルリボシヤンマの標本をしげしげと眺めたり、案外難しいクイズマシンの問題を解くのに窮したりしていた。
頃合いの時間となり、またしてもお菓子を買い込みつつホテルに戻り、昨日同様にワイワイガヤガヤとしゃべり、温泉に浸かり、美味しい夕食を頂けば、あとは銘々のペースで眠りにつくのがよい。歩いたのは然したる距離でもないが、なだらかな上り坂を都合2時間歩いたのがちょっと堪えたのか、23時くらいには眠ってしまった。1時頃にふと覚醒すると、外は結構な豪雨。そうそう、今回はずっと曇天ではあるものの、上手いこと降られていないのが幸いだ。その雨音を聞きながら中途半端に目が覚めたことを後悔したが、やはり結構疲れていたのであろうか案外直ぐに寝てしまった。
3日目・・・最後のイベントである東照宮巡り。10時頃までホテルでゆっくり過ごし、いろは坂を下ること20分あまりで最寄りのバス停「西参道」に到着した。そこから表参道を目指し、表参道に至ってはかなり長い上り坂を「老人ペース」で上っていった。

茶の間で人気だったお馴染みの時代劇で全国区となった「葵の紋」を頂く「社号標」が参道の右側でお出迎えだ。鳥居を潜ってさらに急勾配を少し上っていくと左手に五重塔、そして漸く入り口に辿り着く。入館料を払って階段を上がると表門、さらにそいつを潜ると、最初に見られるのが有名な「三猿」である。

右から「見ざる・言わざる・聞かざる」・・・実物は思いの外小さいが、滑稽な表情と手足の造形が皆に愛される所以であろう。この左右にも様々な「猿たち」がいて、一つひとつを楽しむことができる。
振り向くと「上神庫」と呼ばれる建物があるが、こちらは日本人好みの「わび・さび」とはほど遠い、それこそキンキラキン・・・「これぞ、東照宮」といった構えが見られる。

言葉では表せないこの煌びやかな感じは個人的には好みでないものの、徳川の栄誉をここまで誇示したのは、それはそれで凄いことだとは思う。勿論、建立当時にはそれこそ畏怖と羨望を突きつけるに十分だったに違いない。
鳥居を潜れば陽明門は直ぐそこだ。歩みを進めると・・・

ほっかむりをした陽明門が見えた。そう、ただ今「平成の大修理」の真っ最中。平成31年の3月一杯まで凡そ6年にも及ぶまさに「大修理」だ。実はこのこと自体は行く前から知ってはいたが、どこの改修工事と間違えたのか「既に終わっている」と思い込み、ろくに確認せずに来てしまったのだ・・・。
気を取り直して、この工事中の陽明門(ある意味、これも特別なことではあるに違いない)を潜り抜けると、いよいよ本殿前の「唐門」が見えてくる。唐門の前は混雑が酷かったため、またしても右の方に流れて撮ってみた。

無人にすることはできなかったし、側方に捌け過ぎて唐門の全貌が写せていない。まぁ、本殿との関係は判り易いとは言えよう。豪華絢爛たるこの佇まいは、外国の人々にはウケること間違い無しだろう。
今回の東照宮来訪で確認したかったのが、「眠猫は思いの外小さい」ということだ。この旅行に同行した愚弟が、修学旅行の時の印象で「何だかえらく小さかった」という印象を強調する毎に、その5年前には見た筈の自分の記憶にこれっぽっちも残っていなかったことが癪にさわったからだ。
果たして彼女(なのかどうかは判らぬ)は、確かに非常に小さかったのだ。

周辺に比較できる物がないんで正確には解らんが、せいぜい横幅15cmくらいであろう。クッと眼を閉じるそれは、欄間の装飾として何百年も眠り続けていたのであろう。
この眠猫を潜り抜けると本殿の上にある奥宮にも行けるのだが、三百段あまりの階段が億劫で止めてしまった。我が一行の若い衆はさっさと上ってきたようだった。
この後、本殿にある「鳴竜」の音を聞いた。確か修学旅行の際には、皆で手を叩いたり大きな声を上げたりして通過した記憶があるが、今回はきちんと説明をしてくれる人がおり、拍子木を鳴らして聞かせる形になっていた。竜の頭の下でしかその不思議な反響が起こらない作りになっているのだが、これは意図してそうしたのだろうか。
鳴竜の直ぐ横で小さな鈴の守りを買った。この鈴は、さらに小さな鈴が中に密閉されており、何とも不思議な音を奏でる物だ。幾色の中から緑を選んだ。
東照宮巡りは2時間余りで終えた。転ばぬようにと声を掛けながら結構急な坂をバス通りまで下っていくと信号渋滞が見えたが、ほど近いバス停でほんの5分程待っていたら東武日光駅行きが来た。これに乗車して駅までは10分程で到着した。

ここから遅めの昼食へ・・・「湯葉、湯葉・・・」と念仏のように唱えていると、伯父貴と母が駅の案内所で頃合いの場所にある食堂を聞き出してくれた。駅から5分程のところにあるちょっと不思議な佇まいのお店で、入りしな「大丈夫かな、ここ・・・」などとちょっと引いてしまったものの、出てきた湯葉料理と天ぷら蕎麦が大変美味しかった。皆、一様に満足の昼食となった。ありがとう、案内所の人。
駅に戻りしな土産を買って駅前のベンチで孫娘を囲んでいたら、早くも車組の息子家族が帰路に着くことに。暫し別れを惜しんだら、今度は我が電車組も発車の時間となった。下今市で特急に乗り換えた後の車内では、少々くたびれ気味の連中が「寝落ち」していったが、自分は伯父貴とあれこれ四方山話に花を咲かせていたら、あっという間に浅草に着いた。
時刻は18時。数時間前に食べた昼食が未だお腹に残っている感じもするが、それでも食いしん坊なご一行はやはり「夕飯は夕飯」として食べちゃうのである。

何ともメチャメチャなスナップであるが、まぁ良かろう。このように、窓からスカイツリーが見えるレストランで、またしても美味い料理に舌鼓を打ち、旅程を振り返って談笑してから伯父貴と別れ、我が家の住人は電車での帰宅となった。この後、丸3日間エアコンを入れていない家の温度(居間の温度が34度だった)を2時間程して下げるのは、こうした夏休みの家族旅行恒例のことだ。
そして、徐々に温度が下がっていく部屋の中、自分の布団に転がる幸せを感じながら、あっという間だった今年の家族旅行を一人振り返る・・・とこういけば、この旅行記も大団円で終わるわけだが、部下からの急なメールに気付いて一気に現実に引き戻された・・・。まぁ、こんなものだな。
さぁ、来年は何処へ行こうか・・・って、幾ら何でも未だ早いな。
中禅寺湖畔と改修中の陽明門(前編)
2015-08-13
暑かった数週間を凌ぎ切り、漸く夏期休暇まで辿り着いたと思ったら直ぐに家族旅行の到来だ。今年の目的地はきっと涼しいに違いない日光の中禅寺湖畔・・・我が家に住む家族5人と伯父貴、そして息子一家3人、合計9人の大移動である。孫娘が未だ小さいことから息子家族は車で、残る6人は東武鉄道+バス移動でホテル合流とした。
8月10日11時発のスペーシアに例によって弁当を買い込んで乗り込むと、嗚呼、なんと意地汚いことか(といっても、これも見慣れた風景なんだが)都内を走っている間に食べ始める始末・・・ワイワイガヤガヤとしゃべる様は、ひょっとすると「はた迷惑」だったかも知れぬが、自分は電車の振動でビールが程よく回ってきて、何やらニンマリニヤニヤと過ごした。
下今市から各駅停車に乗り換えて10分足らずで東武日光駅に着いた。バスの時刻表を見ると、十数分待ちで中禅寺湖畔まで行くバスが発車するようだ。まだ都内とあまり変わらない気温の駅前で、各自水分補給用の飲み物を買ったらもう出発時間である。
駅前からいろは坂に向かう途中、最終日に訪れるであろう東照宮の辺りまでは、信号渋滞でかなり時間を掛けて上っていった感じだったが、その後は特段の滞りもなく中善寺湖畔に到着。なるほど「下界」とは違い、ヒンヤリとした気温ではあるが、歩けばそこそこ汗ばむかなぁ・・・といった塩梅。

丁度、男体山にかかった雲が晴れてきた所で、あまりよいショットにはならなかった・・・が、まぁこんな風に「明るい曇り」といった到着の風景だ。そして程なく、二連泊予定の「日光レークサイドホテル」に着いた。
このホテルは中禅寺湖畔では金谷ホテルと並ぶ老舗だが、リニューアルのため、年明けの1月4日に一時休止となるとのことだ。こうなると、今の佇まいはこの旅行で見納めになるであろう・・・と老舗故にどこか煤けた、或いは傷みかけた風情を期待したが、いえいえ、とても綺麗なホテルだった。建て替えなくても良さそうなものだが、まぁいろいろ事情もあるのでしょうな。
ホテルに荷物を置いて休息を取っていると、程なく息子家族が到着。人見知りの我が孫娘は、ほんの数ヶ月見ぬ間にまたしても一段と大きくなっているようだ。どこの民族か判らないような言葉を発するものの、1年と半年足らずでしっかり歩くようになり、これでちょっとは「旅行」の体を成すようだ。
そして、彼女の歩調に合わせてゆったりと向かったのが、名瀑「華厳ノ滝」だ。小学校の修学旅行以来だから、かれこれ40年振りの「再会」である。さらに伯父貴も高校の修学旅行で来たそうで、それこそ60年振りという勘定になるようだ。華厳ノ滝自体は流石に「名瀑」と言われるだけあってテレビ番組等でも取り上げられることが多く、映像的にはあまり色褪せないで記憶しているつもりになっているが、果たしてそのスケール感は如何に・・・と歩みを進めれば見えてくるのである。

こんなスナップにしてしまうと流石にその大きさが全く伝わらないが、底篭りしたゴーッという爆音が聞こえてくる。直ぐにこの瀑布の圧倒的なスケールを満喫できる展望台へ向かった。
エレベータ乗り場に幾らか列はできていたものの5分足らずで乗り込むことができ、あっという間に100mを降下。メチャクチャ涼しい(というか、じっとしていたら寒い)トンネルを抜けると、爆音を轟かす「奴」が現れた。水飛沫が身体を包み込むように纏わり付き、曇天の明るく白い光でさらに白っぽいその姿・・・これがなかなか上手く撮影できないのだ。さらに悪いことに、丁度滝口の少し上に太陽があって露出がオーバーしてしまう・・・と、自分の腕前を棚上げした上で、雰囲気だけでも残しておこうか。

まぁ、恥さらしはこれくらいにしよう。
この大いなる「自然の崩落」を満喫して地上に戻れば、今宵の「室内的宴会用食材」を買い込んでホテルに引き返すことに。ここからは、快適な室内で「一族の他愛ない会話」⇒「勝手に温泉に入りに行く時間」⇒「美味しいフランス料理の夕餉」⇒「一族の他愛ない宴会」へと続き、夜が更けていくのであったが、何を隠そう自分は夕餉の後に腹痛を催し、「宴会会場」の隣の部屋で寝くたばる始末・・・日頃の罰が当たったのだろうか。幸い、翌朝には軽快してバイキング形式の大盛りな朝食を平らげたことは言うまでも無い。
というわけで、2日目は「中禅寺湖」の名称由来と言って良い「中善寺」に歩いて行くことにした。中善寺には「立木観音」と呼ばれる観音様が居られる。何でも立木のまま彫り上げた木像だと聞くが、果たしてどんなお姿なんじゃろう・・・と半ば興味本位で訪ねることにした。
ホテルからの距離は凡そ1Km。かなり近いであろう道を歩いて行ったが、これがどういう訳かなかなか着かぬ。皆が皆、まだかまだかと尋ね合うほどだ。まぁ、まだまだ覚束ない足取りの孫娘の歩調に所々合わせて歩くんだから仕方が無いが、気温に比して湿度が高くて漫ろ歩きでも汗ばんでしまう。またしても、自販機を見つけては「熱射病防止用」の飲料を購入しながら歩くこと40分あまり・・・漸く現着となった。
到着していきなりだが、母が「御朱印、御朱印・・・」とウロウロしている間にみくじを引いたら小吉だった。大吉、中吉、小吉、吉・・・第三位、まずまずである。読むと有り難いことが書いてある。曰く、「失せ物 物の間にあり」・・・当たり前とも言うが、嗚呼、アリガタヤアリガタヤ。そして、本堂の中へ。ここのご本尊たる立木観音は、とっても穏やかなお顔の観音様だった。千手観音故、無理なお願いも聞いてくれるということだったので、3つ程お願い事をして来たが、無論、こんな所にひけらかすほどに耄碌はして居らぬ。
ヒンヤリとしたお堂を上の方へ上がると、何とそこが出口だ。

絶好の眺めなんだが、奇しくも今日も曇天。手前は薄日が差しているが、中禅寺湖とその周辺の山々は、お世辞にも綺麗とは言い難い。ただ、吹き抜ける風は涼しく、昨日まで納戸(=寝室)でへたり込んでいたのが嘘のようではある。
おっと、本堂の撮影を忘れていた。慌てて構図探し。正面からバチッと撮りたかったがタイミング悪く団体さんが何やら説明を受けていて、どうしても人が写り込んでしまうので仕方なく・・・。

結局、このスナップにも人影があるし、何だかかなり斜めからの構図で「意味不明」なものとなってしまったが、これら全ては団体さん達のせいである。もっと綺麗な写真が見たけりゃ、中善寺のホームページへどうぞ。
さて、このお寺が神仏混淆であることはその色味から判るであろう。朱塗りの寺は各地にあって、まぁ珍しいといったわけでは無いが、麓(でいいのかなぁ)にある輪王寺の別院としての面影はあるものの、その煌びやかさはない。そもそも、山を神とする土着の「神教」と後乗りの「仏教」が上手く融合するところ辺りが「日出づる国」の大いに不可思議なところであり、諸外国の人間には全く以てオッペケペな人種として不思議がられ、訝しがられ、さらには恐れられる所以なのかも知れない。その大らかな解釈(包容力)で「山岳修行修験道」を生み出すなんざぁ、その最たるもんだと思う・・・おっと、旅行記から逸れた。
次の目的地はさらに1Kmほど行ったところにある「イタリア大使館別荘記念公園」だ。湖畔の道を歩いて行けば、まぁそのうちに着くだろう・・・と、ホテルから中善寺までの道中のことを省みずに歩き出したものの、やはりなかなか辿り着かない。皆、歩調が小さくなりダラダラと歩いているような・・・と思ってよく考えたら、実は「なだらかな上り坂」であることに気付いた。なるほど、思いの外長く感じられたのはこのせいだったのかと納得したものの、目的地になかなか着かないことには変わりは無い。
しかし、このノロノロ歩きのお陰で沢山いる赤トンボを時に捕まえたり(道路にも平気で止まっていて、踏んづけそうになるのが玉にキズ)、ヤマアジサイを眺めたりすることができた。とりわけ目立っていたのが、この赤いちっちゃい奴である。

野いちご、ヘビイチゴ・・・どうも違うよう。結局何だか判らなかったが、この鮮やかな赤が殺風景な石垣に色味を与える様は印象的だった。
未だ旅疲れが残った状態でここまで書いてきたが、おねむになってしまった。ここからは後編に続けようか・・・実に中途半端な気もするが。
8月10日11時発のスペーシアに例によって弁当を買い込んで乗り込むと、嗚呼、なんと意地汚いことか(といっても、これも見慣れた風景なんだが)都内を走っている間に食べ始める始末・・・ワイワイガヤガヤとしゃべる様は、ひょっとすると「はた迷惑」だったかも知れぬが、自分は電車の振動でビールが程よく回ってきて、何やらニンマリニヤニヤと過ごした。
下今市から各駅停車に乗り換えて10分足らずで東武日光駅に着いた。バスの時刻表を見ると、十数分待ちで中禅寺湖畔まで行くバスが発車するようだ。まだ都内とあまり変わらない気温の駅前で、各自水分補給用の飲み物を買ったらもう出発時間である。
駅前からいろは坂に向かう途中、最終日に訪れるであろう東照宮の辺りまでは、信号渋滞でかなり時間を掛けて上っていった感じだったが、その後は特段の滞りもなく中善寺湖畔に到着。なるほど「下界」とは違い、ヒンヤリとした気温ではあるが、歩けばそこそこ汗ばむかなぁ・・・といった塩梅。

丁度、男体山にかかった雲が晴れてきた所で、あまりよいショットにはならなかった・・・が、まぁこんな風に「明るい曇り」といった到着の風景だ。そして程なく、二連泊予定の「日光レークサイドホテル」に着いた。
このホテルは中禅寺湖畔では金谷ホテルと並ぶ老舗だが、リニューアルのため、年明けの1月4日に一時休止となるとのことだ。こうなると、今の佇まいはこの旅行で見納めになるであろう・・・と老舗故にどこか煤けた、或いは傷みかけた風情を期待したが、いえいえ、とても綺麗なホテルだった。建て替えなくても良さそうなものだが、まぁいろいろ事情もあるのでしょうな。
ホテルに荷物を置いて休息を取っていると、程なく息子家族が到着。人見知りの我が孫娘は、ほんの数ヶ月見ぬ間にまたしても一段と大きくなっているようだ。どこの民族か判らないような言葉を発するものの、1年と半年足らずでしっかり歩くようになり、これでちょっとは「旅行」の体を成すようだ。
そして、彼女の歩調に合わせてゆったりと向かったのが、名瀑「華厳ノ滝」だ。小学校の修学旅行以来だから、かれこれ40年振りの「再会」である。さらに伯父貴も高校の修学旅行で来たそうで、それこそ60年振りという勘定になるようだ。華厳ノ滝自体は流石に「名瀑」と言われるだけあってテレビ番組等でも取り上げられることが多く、映像的にはあまり色褪せないで記憶しているつもりになっているが、果たしてそのスケール感は如何に・・・と歩みを進めれば見えてくるのである。

こんなスナップにしてしまうと流石にその大きさが全く伝わらないが、底篭りしたゴーッという爆音が聞こえてくる。直ぐにこの瀑布の圧倒的なスケールを満喫できる展望台へ向かった。
エレベータ乗り場に幾らか列はできていたものの5分足らずで乗り込むことができ、あっという間に100mを降下。メチャクチャ涼しい(というか、じっとしていたら寒い)トンネルを抜けると、爆音を轟かす「奴」が現れた。水飛沫が身体を包み込むように纏わり付き、曇天の明るく白い光でさらに白っぽいその姿・・・これがなかなか上手く撮影できないのだ。さらに悪いことに、丁度滝口の少し上に太陽があって露出がオーバーしてしまう・・・と、自分の腕前を棚上げした上で、雰囲気だけでも残しておこうか。

まぁ、恥さらしはこれくらいにしよう。
この大いなる「自然の崩落」を満喫して地上に戻れば、今宵の「室内的宴会用食材」を買い込んでホテルに引き返すことに。ここからは、快適な室内で「一族の他愛ない会話」⇒「勝手に温泉に入りに行く時間」⇒「美味しいフランス料理の夕餉」⇒「一族の他愛ない宴会」へと続き、夜が更けていくのであったが、何を隠そう自分は夕餉の後に腹痛を催し、「宴会会場」の隣の部屋で寝くたばる始末・・・日頃の罰が当たったのだろうか。幸い、翌朝には軽快してバイキング形式の大盛りな朝食を平らげたことは言うまでも無い。
というわけで、2日目は「中禅寺湖」の名称由来と言って良い「中善寺」に歩いて行くことにした。中善寺には「立木観音」と呼ばれる観音様が居られる。何でも立木のまま彫り上げた木像だと聞くが、果たしてどんなお姿なんじゃろう・・・と半ば興味本位で訪ねることにした。
ホテルからの距離は凡そ1Km。かなり近いであろう道を歩いて行ったが、これがどういう訳かなかなか着かぬ。皆が皆、まだかまだかと尋ね合うほどだ。まぁ、まだまだ覚束ない足取りの孫娘の歩調に所々合わせて歩くんだから仕方が無いが、気温に比して湿度が高くて漫ろ歩きでも汗ばんでしまう。またしても、自販機を見つけては「熱射病防止用」の飲料を購入しながら歩くこと40分あまり・・・漸く現着となった。
到着していきなりだが、母が「御朱印、御朱印・・・」とウロウロしている間にみくじを引いたら小吉だった。大吉、中吉、小吉、吉・・・第三位、まずまずである。読むと有り難いことが書いてある。曰く、「失せ物 物の間にあり」・・・当たり前とも言うが、嗚呼、アリガタヤアリガタヤ。そして、本堂の中へ。ここのご本尊たる立木観音は、とっても穏やかなお顔の観音様だった。千手観音故、無理なお願いも聞いてくれるということだったので、3つ程お願い事をして来たが、無論、こんな所にひけらかすほどに耄碌はして居らぬ。
ヒンヤリとしたお堂を上の方へ上がると、何とそこが出口だ。

絶好の眺めなんだが、奇しくも今日も曇天。手前は薄日が差しているが、中禅寺湖とその周辺の山々は、お世辞にも綺麗とは言い難い。ただ、吹き抜ける風は涼しく、昨日まで納戸(=寝室)でへたり込んでいたのが嘘のようではある。
おっと、本堂の撮影を忘れていた。慌てて構図探し。正面からバチッと撮りたかったがタイミング悪く団体さんが何やら説明を受けていて、どうしても人が写り込んでしまうので仕方なく・・・。

結局、このスナップにも人影があるし、何だかかなり斜めからの構図で「意味不明」なものとなってしまったが、これら全ては団体さん達のせいである。もっと綺麗な写真が見たけりゃ、中善寺のホームページへどうぞ。
さて、このお寺が神仏混淆であることはその色味から判るであろう。朱塗りの寺は各地にあって、まぁ珍しいといったわけでは無いが、麓(でいいのかなぁ)にある輪王寺の別院としての面影はあるものの、その煌びやかさはない。そもそも、山を神とする土着の「神教」と後乗りの「仏教」が上手く融合するところ辺りが「日出づる国」の大いに不可思議なところであり、諸外国の人間には全く以てオッペケペな人種として不思議がられ、訝しがられ、さらには恐れられる所以なのかも知れない。その大らかな解釈(包容力)で「山岳修行修験道」を生み出すなんざぁ、その最たるもんだと思う・・・おっと、旅行記から逸れた。
次の目的地はさらに1Kmほど行ったところにある「イタリア大使館別荘記念公園」だ。湖畔の道を歩いて行けば、まぁそのうちに着くだろう・・・と、ホテルから中善寺までの道中のことを省みずに歩き出したものの、やはりなかなか辿り着かない。皆、歩調が小さくなりダラダラと歩いているような・・・と思ってよく考えたら、実は「なだらかな上り坂」であることに気付いた。なるほど、思いの外長く感じられたのはこのせいだったのかと納得したものの、目的地になかなか着かないことには変わりは無い。
しかし、このノロノロ歩きのお陰で沢山いる赤トンボを時に捕まえたり(道路にも平気で止まっていて、踏んづけそうになるのが玉にキズ)、ヤマアジサイを眺めたりすることができた。とりわけ目立っていたのが、この赤いちっちゃい奴である。

野いちご、ヘビイチゴ・・・どうも違うよう。結局何だか判らなかったが、この鮮やかな赤が殺風景な石垣に色味を与える様は印象的だった。
未だ旅疲れが残った状態でここまで書いてきたが、おねむになってしまった。ここからは後編に続けようか・・・実に中途半端な気もするが。
AD9851用外部クロック試作
2015-08-09
やっと夏休みに突入しました。連日猛暑日でムチャクチャ暑かった8月初旬・・・夏休みに入った途端に少し涼しくなり、昨夜は久し振りに熱帯夜にならず夜中まで工作三昧で過ごしました
夏休み最初の実験は、『AD9851モジュールに180MHzのクロックを直接与えるのと30MHz×6逓倍で過ごすのとでどの程度の差があるのか』・・・たまたまぶっ壊してしまい搭載されている水晶発振器を取り外したモジュールがあるため、こいつに180MHzの外部クロックを直接与えた場合のデータと、まだぶっ壊していないモジュール(30MHzのクロックを搭載したままの状態のもの)のデータ比較を行うことでその差を見てみようという実験です。果たして、ピュアな外部クロックと内部の6逓倍クロックに大きな差があるのか・・・前々から興味があったこの「戦い」の準備として、180MHzのクロック発振回路を作りました。
使用した回路は、すでに何度かお世話になっているJA9TTT/加藤OM考案の5逓倍回路・・・トランジスタには2SC2776、タンク回路には7Kボビンで作った4:1のトランス(被せるコア無し、同調容量3pF)とし、その他はほぼオリジナル通りの回路で36MHzの水晶を5逓倍することにしました。作り始めたのが昨晩の夕飯後だったため期せずして夜更かししましたが、結局昨晩中には安定に上手く動かず、今朝起きてから付け忘れていたパスコン(電源ラインに10uFの積層セラコン)を取り付け、7Kボビンのケースアースを強化(1点⇒2点)、さらに水晶を別のものに交換して漸く安定に発振するようになりました。

安定に発振するようになった一番の処置は「水晶の取り替え」です。最初に取り付けた水晶では3逓倍の性質が強く出てしまい、5逓倍にするための調整がやたらとクリティカルでしたが、水晶を変えた途端に発振し易くなりました。aitendoで10個150円の水晶ですが、やはりオーバートーンについては「何個か壊すつもり」で準備した方よさそうです。
7Kボビンのケースアース追加も安定度に寄与する形・・・ケースアースに手を触れても発振が止まらなくなりました。この辺りは、これまでの経験が活きた形になりました。
この発振回路の確認にはGigaSTをフル活用。調整を少しずらすと「3逓倍」で安定に発振してしまうことから、単に出力だけをモニタしても判り難いんです(まぁ、5逓倍の時の方が出力が随分大きいんで、判ろうと思えば判ります)が、微調整を含めて大活躍しました。
我が「GigaST Ver4」は、無信号時にも幾つか環境依存的に信号を拾っていて、こいつが測定には邪魔になることがあります。今回も作成した発振回路のスプリアスを見ようと思ったら結構邪魔な信号があるため、ひとまずこれを画像にして「脳内」でマイナスすることにしました。

このスナップが無信号時のものです。217MHzと290MHzの大きめの不要信号に加え、21MHz,54MHz,83MHzにも小さな不要信号が見えていますね。これを、実際の測定データから差し引けばいいわけです。

ATTを十数dBほどかませたデータです。180MHzの第二高調波である360MHzが思いの外強く出ています。これはタンク回路の問題だと思われ、第三高調波も同程度のレベルで出ているようです。本当はもう少し綺麗にしたいところですが、DDSが処理できる周波数をかなり超えたところのものですから、ひとまず放っておこうと思います。
今年の夏休みの工作・実験は、こんな感じで緩やかにスタートしました。今年も恒例の家族旅行が控えていますから、果たしてここからどんな風に進んでいくのやら・・・。

夏休み最初の実験は、『AD9851モジュールに180MHzのクロックを直接与えるのと30MHz×6逓倍で過ごすのとでどの程度の差があるのか』・・・たまたまぶっ壊してしまい搭載されている水晶発振器を取り外したモジュールがあるため、こいつに180MHzの外部クロックを直接与えた場合のデータと、まだぶっ壊していないモジュール(30MHzのクロックを搭載したままの状態のもの)のデータ比較を行うことでその差を見てみようという実験です。果たして、ピュアな外部クロックと内部の6逓倍クロックに大きな差があるのか・・・前々から興味があったこの「戦い」の準備として、180MHzのクロック発振回路を作りました。
使用した回路は、すでに何度かお世話になっているJA9TTT/加藤OM考案の5逓倍回路・・・トランジスタには2SC2776、タンク回路には7Kボビンで作った4:1のトランス(被せるコア無し、同調容量3pF)とし、その他はほぼオリジナル通りの回路で36MHzの水晶を5逓倍することにしました。作り始めたのが昨晩の夕飯後だったため期せずして夜更かししましたが、結局昨晩中には安定に上手く動かず、今朝起きてから付け忘れていたパスコン(電源ラインに10uFの積層セラコン)を取り付け、7Kボビンのケースアースを強化(1点⇒2点)、さらに水晶を別のものに交換して漸く安定に発振するようになりました。

安定に発振するようになった一番の処置は「水晶の取り替え」です。最初に取り付けた水晶では3逓倍の性質が強く出てしまい、5逓倍にするための調整がやたらとクリティカルでしたが、水晶を変えた途端に発振し易くなりました。aitendoで10個150円の水晶ですが、やはりオーバートーンについては「何個か壊すつもり」で準備した方よさそうです。
7Kボビンのケースアース追加も安定度に寄与する形・・・ケースアースに手を触れても発振が止まらなくなりました。この辺りは、これまでの経験が活きた形になりました。
この発振回路の確認にはGigaSTをフル活用。調整を少しずらすと「3逓倍」で安定に発振してしまうことから、単に出力だけをモニタしても判り難いんです(まぁ、5逓倍の時の方が出力が随分大きいんで、判ろうと思えば判ります)が、微調整を含めて大活躍しました。
我が「GigaST Ver4」は、無信号時にも幾つか環境依存的に信号を拾っていて、こいつが測定には邪魔になることがあります。今回も作成した発振回路のスプリアスを見ようと思ったら結構邪魔な信号があるため、ひとまずこれを画像にして「脳内」でマイナスすることにしました。

このスナップが無信号時のものです。217MHzと290MHzの大きめの不要信号に加え、21MHz,54MHz,83MHzにも小さな不要信号が見えていますね。これを、実際の測定データから差し引けばいいわけです。

ATTを十数dBほどかませたデータです。180MHzの第二高調波である360MHzが思いの外強く出ています。これはタンク回路の問題だと思われ、第三高調波も同程度のレベルで出ているようです。本当はもう少し綺麗にしたいところですが、DDSが処理できる周波数をかなり超えたところのものですから、ひとまず放っておこうと思います。
今年の夏休みの工作・実験は、こんな感じで緩やかにスタートしました。今年も恒例の家族旅行が控えていますから、果たしてここからどんな風に進んでいくのやら・・・。
壊れた中華DDSも怪我の功名!?
2015-08-01
先週末に中華DDSを試運転していたらドジを踏んでしまい、1枚ぶっ壊してしまいました
それも、実にトホホなドジ・・・。
以前に作った実験用の電源は、出力電圧をロータリースイッチで切り替えられる扱い易いものなんですが、ショーティングタイプのスイッチを使わずに安い秋月のスイッチで誤魔化していました。つまり、電圧を切り替える際に一瞬大きな電圧(13Vくらい)が出てしまうため、いちいち電源を切ってから切り替えるという手間が必要だったわけですが、中華DDSの電源として「低圧でも動くかな
」とカタログスペックを調べようと通電したまま「パチリ」と切り替えたら、一瞬でお陀仏になってしまいました

暫く落胆していましたが、ひとまず生きている方のモジュールと区別をつけるべく「×」を付けた後、手持ちのAD9851へ換装。その際に、D7の出力に行くランドを欠いてしまい、ジャンパーを1本使う羽目になりました
回路的には簡単ですから、テスターである程度当たってみて、大丈夫だろうと納得したところでいざ通電。ところが、これでも動かないんです
そこで、暫し電源を切って思案。「もう一つ、アクティブ素子が乗っかってるじゃん」・・・結局、壊れていたのは水晶発振器。出力をオシロで当たってみても波形は出ていませんでした。
ひょっとすると、壊れていたのはこの水晶発振器だけだったかも知れませんが、乱暴に取り外したAD9851はもう元には戻りません・・・結構凹みましたよ
こうして、先週末のトホホ事件を乗り越え、今日は生きている方のモジュールからクロックを引き出し、さらに壊れた発振器を取り外したモジュール(AD9851は換装済み)に供給して動かしてみました。まずは、直したモジュールの様子をアップで。

ジャンパーが痛々しいでしょ
これで上手く動かないと、AD9851が事実上さらにもう一つ無駄になるわけですから、期せずして結構ドキドキな実験になってしまいました。

手前の健康な(
)モジュールの水晶発振器の出力をつないだ様子です。果たして・・・

ちゃんと発振しました
いやぁ、ホッとしました
第二高調波は、前回のブログのデータと同様に50dBダウン程度。第三高調波にあたる30MHzが強めに測定できていますが、これはモジュール間をつないだ水晶発振出力のビニールコードからのリークの影響と見ています。
さて、表題でわざわざ「怪我の功名」と謳ったのは、このモジュールの水晶発振器は、ゆくゆく「外からダイレクトに180MHz付近を与える」という仕様に変えようと思っており、早かれ遅かれ、この発振器自体は不要になる運命だったんです。実験の順序としては少々狂ってしまったのと、余計なジャンパー線が必要になりましたが、「製品企画」には影響が出なかったのが不幸中の幸いでした
既にレギュレーションが大幅に変わったフィールドデーの真っ最中ですが、今年は不参加の予定・・・次の実験の計画を練りたいと思います。

以前に作った実験用の電源は、出力電圧をロータリースイッチで切り替えられる扱い易いものなんですが、ショーティングタイプのスイッチを使わずに安い秋月のスイッチで誤魔化していました。つまり、電圧を切り替える際に一瞬大きな電圧(13Vくらい)が出てしまうため、いちいち電源を切ってから切り替えるという手間が必要だったわけですが、中華DDSの電源として「低圧でも動くかな



暫く落胆していましたが、ひとまず生きている方のモジュールと区別をつけるべく「×」を付けた後、手持ちのAD9851へ換装。その際に、D7の出力に行くランドを欠いてしまい、ジャンパーを1本使う羽目になりました


ひょっとすると、壊れていたのはこの水晶発振器だけだったかも知れませんが、乱暴に取り外したAD9851はもう元には戻りません・・・結構凹みましたよ

こうして、先週末のトホホ事件を乗り越え、今日は生きている方のモジュールからクロックを引き出し、さらに壊れた発振器を取り外したモジュール(AD9851は換装済み)に供給して動かしてみました。まずは、直したモジュールの様子をアップで。

ジャンパーが痛々しいでしょ


手前の健康な(



ちゃんと発振しました


さて、表題でわざわざ「怪我の功名」と謳ったのは、このモジュールの水晶発振器は、ゆくゆく「外からダイレクトに180MHz付近を与える」という仕様に変えようと思っており、早かれ遅かれ、この発振器自体は不要になる運命だったんです。実験の順序としては少々狂ってしまったのと、余計なジャンパー線が必要になりましたが、「製品企画」には影響が出なかったのが不幸中の幸いでした

既にレギュレーションが大幅に変わったフィールドデーの真っ最中ですが、今年は不参加の予定・・・次の実験の計画を練りたいと思います。