白い石を運ぶべし!-其の弐
2013-08-15
八月十日、インチキ神領民にもちゃんと朝が来た。今日が「お白石持ち」の本番である。
今回の旅行で痛感したが、やはりここのブログ主は写真のセンスがない。同じ構図で3枚も写真を撮る愚行・・・単なる日変化を並べただけだ。オマケに太陽光が写り込んでるし
ただまぁ、この通り「ピーカン」だったってことは証明できるだろう。
今日は伊勢市駅の隣の「宇治山田駅」まで、またしても近鉄に十数分お世話になってやって来た。内宮には「五十鈴川駅」の方が近いが、町を挙げての行事でタクシー利用となればそのルート選択が肝心。伯母に助言を貰い、若干遠回りになるがこの駅を選んだ。
宇治山田駅は元々、天皇陛下御一行や大臣などの乗降用に作られた駅であり、ご覧の通り中もかなり豪華な作りになっている。外から撮れって
・・・暑くて無駄に出やれよかかいな
内宮と外宮の中間に位置するこの駅のまん前には、大きな催し物ができる「伊勢市観光文化会館」がある。このこけら落としにメインで出演したのが『ピンキーとキラーズ』で(おっと、歳がばれたかな
)、何とステージ終了後に花束を渡しに行く役を仰せつかった。年下の従兄弟の女の子が「ポンチョ」に渡す羽目になり、嫌がって泣いていたのを思い出す。このブログ主たるインチキ神領民は、こんな所でも活躍していたわけである。おっと、話を戻そうか。
お白石は「上せ車」(のぼせぐるま)と呼ばれる山車に乗せられ、これを大勢で引っ張ってくる。出発点は二カ所有り、一つはかなり長い距離を引いてくるが、町によって出発点が振り分けられてしまう。我が「本町」は遠い出発点だから、ジパング団にはちと酷であるため、このブログ主率いる一行は、「内宮の近く(おはらい町の真ん中辺り)まで先回りして「赤福氷」を食べて涼を取りつつ待ち構え、上せ車の最後の最後に「ずっと曳いてきたフリ」で混じる作戦である。実はこの作戦をかなりの方が行うことは判っており、内宮手前で引き綱を伸ばしてくれるというサービスがある。そうでないと、後から混ざった人たちが綱を持てないからだ。
そんなわけで、半ば悠々と内宮に向かってタクシーに乗った。ところがほんの一部、一般車両通行用に開けてある大通りに上せ車が出てくる所があって、丁度運悪くそいつに出会したため、普段なら十分そこそこの道のりを三十分も掛けて内宮に到着した。
内宮の入り口脇に赤福の支店がある。本店はそこから200mほど離れたところにあるんだが、とにかく猛暑・・・ジパング団を炎天下に晒さぬよう、その支店の軒先に陣取って赤福氷を平らげた。
この店にも例の締め飾りがちゃんと飾ってある。伊勢周辺のこの慣わしは、町ぐるみでかなり守られていると言って良いだろう。
今日合流した叔父がおはらい町を下りていき、どの町の上せ車が近づいてきているのか情報収集してきたところによると、初っ端の上せ車にアクシデントがあり、既に一時間遅れのペース。結局、随分と待たされることを覚悟しなければならなくなったが、ひとまず所定の位置まで移動して日陰で休憩。
13時半頃に漸く上せ車の姿が見えてきた。既にずっと引いてきたフリで混ざり込む時間になっていたが、ここで休憩に入ったようだ。多分、昼飯用のおにぎりが配られているんだろうが、遠くに先導車の提灯が見えるだけでじっとしている。そして、その横に何とも気になる看板を発見した。
工学20倍ズームの勝利・・・バッチリ撮れているが、丸焼きなんてあまり「神前」には似つかわしくないと思う反面、昼食時間をとっくに過ぎて「食べてみたいなぁ」と思う気持ちは強かったが、流石にインチキ神領民隊長自ら僥倖を起こすのも・・・とちゃんと我慢をした。 手前に見えるのが、待ち侘びている上せ車の先導車だ。
14時過ぎ、漸く先導車が緩やかに動き出し、やっと目の前まで綱が到着。先回りした叔父や我が家の子供達を探すと、「エンヤ、エンヤ」のかけ声と共に、程なく無事合流。親戚が増殖し、一気に賑やかになった。上せ車の引き上げは、何となく「伊勢の神宮」を気取って優雅に、或いは厳かに進ませるものを想像するかも知れないが、それは全く当て嵌まらない。このかけ声にチャチャを入れて面白可笑しく、そして元気よく引かせ、時に両側で引いている二本の綱を真ん中に寄っていってぶつけるなど、正に「神社のお祭り」の雰囲気そのものである。
なお、詳しい模様はYutubeに動画がそれこそ沢山上がっているから、そちらを参照されたし。
さぁ、ここからなら30分ほどで引き終わり、お目当ての「お白石」を貰っていざ入場
・・・と思ったら、急停止。そして暫くすると、遠くから救急車のサイレンが近づいてきた。綱の先頭の方で、具合が悪くなったお年寄りを病院へ搬送したらしい。
実際、その間にも、明らかに「熱あたり」でモドしちゃってる子供やへたり込んでいるお年寄り、道に寝っ転がって扇いで貰っている人など多数・・・まぁとにかく猛烈に暑い。さらに、一旦歩き出したから軒下に待避することもできず、暑い道の真ん中で待たされるのは流石に辛かった。強い日差しがなかったのが唯一の救い。我がジパング団も結構「キテる」感じだったが、何せ親戚が一堂に会していたから、誰かしらが声を掛けたり水を持ってきたりと気を配ってくれ、事なきを得ているといった有様だった。
三十分ほど待たされると、今度は本当にゴールたる宇治橋の前まで一気に引き上げるということで、動き出したら結構加速して難なくゴールイン。
これが苦労して引き上げてきた上せ車の全景だ。本町のマークは日の丸のような「赤い丸」のシンプルなもので、木の車輪と車軸の間にチョークのようなものを差し込んで、「ゴーッ」というかなり大きな音を鳴らして進ませる。他の町では、全く大人しいものや飾り付けが派手なもの、或いは先導車に女性が多く乗って歌と太鼓で優雅に引き上げるものなど、町々によって趣向がある。本町のこの「ゴーッ」という音は、どこか地響きに似た少しおどろおどろしい音で、自分勝手に「歴史」を感じてしまうのである。
神主がお払いをし、いざ宇治橋を渡って内宮の中へ・・・と言っても、上せ車は流石に入ってこない。宇治橋を渡ったところで石を受け取るのだ。
宇治橋の左手・・・下流の方に見えるこの場所は、小さい頃に叔父や伯母に連れてきて貰った「川泳ぎ」の場所だ。とても綺麗で水が冷たく、時に蛭(ヒル)がいたりして従兄弟達と大騒ぎしていた所だ。ここは相変わらず泳ぎに来ている人も多く、遠目ではあるが昔のままのように思え、何だかホッとした。
神宮の中は撮影禁止の場所が多いが、内宮の場合も「ここから先はダメ
」という場所がある。逆に、そこまでは撮影自由だから、宇治橋を渡った先で手を清め、そのさらに先にある鳥居の所までが「大勢で出掛けたときの記念撮影ポイント」としてお薦めである。これから参拝される方は、覚えておくと良いかも。
さて、例の法被の件も片付けておきたい。
全く構図が変だが、手前に半分写っている法被・・・背中に大きな日の丸をモチーフにしたようなものが本町の法被の主流、その他、神宮の他の行事に合わせて誂えた法被もあり、左の方に写っているような背中の赤い丸が「本町」の形になっていたりするものまで多種多様。ただ、何れも襟の袂に町名が書いてあるから、前から見れば一目瞭然。同じ町の知り合いを捜す目印にもなっている。
こいつさえ手に入れればインチキ神領民にはなれるから、知り合いの知り合いのそのまた知り合いが伊勢の人なら頼んでみるといい・・・とは言え、次の特別神領民参加は十年ちょっと先の「御木曳」になるわけで、まぁそんなに慌てることはないだろう・・・と思ったら、8月末には外宮のお白石持ちがあるんだった
肝心の石の写真はないのか・・・そう、撮り忘れた
まぁ、子供のこぶし大の小さな白い石だ。こいつを貰って鳥居の前で頭を下げ、いざ中に入っていく。そこからも結構な距離を歩き本殿を目指すのであるが、ここでジパング団がへばってしまったため、参道の横の石に座って暫く休憩。その間に子供達を連れて先に神殿を拝みに行った。撮影不可であるため、ここからは「語り」で。
総檜造りの神殿は、陽が差すとそれを反射して神々しく見えるほどに仕上げられている。その神殿の前にお白石を置いて、皆「二礼二拍手一礼」をするのである。
普通に考えれば、まだ神も住んでおられない言わば「空き家」に向かって手を合わせるのは妙な行為だが、八百万の神よろしく、この凛とした神殿もまた「神」として良いのではないかと思えるほど、清浄たる造りに圧倒されるのだ。そこに長居は無用であり、順番に従って去っていかなければならない正に「一遇」の時に幾つか呼吸をして檜の香りを胸に納め、以降二十年の役目を小さな白い石に託す・・・そんな貴重な経験ができること自体、母を含めた親族・親戚があればこそと、漸くこの歳になれば解ってくるのである。
元気を取り戻したジパング団の石置き完了を待ちつつ、ゆっくりと参集殿に戻った。ここで改めて親戚一同が会することになっていたが、些か時間が押してしまったから一通り「大きくなったなぁ・・・」「おいおい、老けたなぁ・・・」と声を掛け合い、記念撮影をしてわらわらと散会した。そして、内宮での最後の一枚。
丁度、次の町の上せ車が到着してごった返す人々を背に、完全な逆光状態の宇治橋鳥居である。流石にかなり疲れたため、これも構図がおかしい(って、単に下手なだけ・・・)。この大勢の人々を他所にタクシー乗り場に向かい、10分ほど待たされたものの何とか乗車でき宇治山田駅に戻ってきた。そして、発車時間の近い近鉄特急の切符を買い、またしても15分ほど乗って鳥羽着、送迎バスを待ってホテルに戻ってきた。
バスでの戻りしな、丁度山裾に夕日が落ちていくところだった。
走るバスの中からとしては上出来の類だろうが、何でこのタイミングで何やら機械仕掛けのクレーン船が手前にあるんだ
漁港なんだから、もっと漁船らしき船と共に写さんかい
・・・といっても、とにかく走っているバスの中だから上等だ。
昼飯も結局食えずに灼熱に晒されかなりの距離を歩いたんだから、お腹はぺこぺこである。本当ならホテルに着いたらまずは温泉に飛び込んで汗を流してから夕食へ・・・となるはずだったが「全員一致」で食事を優先に。そして、小さい頃に随分遊んで貰った叔父を食事に招待し、昨日より少し賑やかな食事会のスタートである。
今日のメインディッシュはこれ。
周辺の貝殻は既に食がかなり進んだことを物語っているが、少し遅れて登場した伊勢エビの活き作りである。言わずもがな、やはり新鮮なものは美味い・・・がそれなりの値段だ。そして、あっという間になくなってしまうのもお決まりである。
18時頃からスタートした夕食会では、徐々に皆の体力が回復してきて話が弾み、3時間超に至る宴会となった。未だ明日半日の行動と帰路が待っているが、ぶっ倒れない程度に
の大を6杯ほど飲んだところでお開きとなり、叔父を送って部屋に戻ると、子供達の「カラオケ行こ~
」に圧倒されて調子に乗って歌っていたら温泉の終了時間が迫ってしまい、何と着替えはしたもののそのまま寝る羽目に・・・結局、汗疹ボチボチである
が、まぁこの暑さの中病人も出ず、よい一日だったと言ってよいだろう。

今回の旅行で痛感したが、やはりここのブログ主は写真のセンスがない。同じ構図で3枚も写真を撮る愚行・・・単なる日変化を並べただけだ。オマケに太陽光が写り込んでるし

今日は伊勢市駅の隣の「宇治山田駅」まで、またしても近鉄に十数分お世話になってやって来た。内宮には「五十鈴川駅」の方が近いが、町を挙げての行事でタクシー利用となればそのルート選択が肝心。伯母に助言を貰い、若干遠回りになるがこの駅を選んだ。

宇治山田駅は元々、天皇陛下御一行や大臣などの乗降用に作られた駅であり、ご覧の通り中もかなり豪華な作りになっている。外から撮れって


内宮と外宮の中間に位置するこの駅のまん前には、大きな催し物ができる「伊勢市観光文化会館」がある。このこけら落としにメインで出演したのが『ピンキーとキラーズ』で(おっと、歳がばれたかな

お白石は「上せ車」(のぼせぐるま)と呼ばれる山車に乗せられ、これを大勢で引っ張ってくる。出発点は二カ所有り、一つはかなり長い距離を引いてくるが、町によって出発点が振り分けられてしまう。我が「本町」は遠い出発点だから、ジパング団にはちと酷であるため、このブログ主率いる一行は、「内宮の近く(おはらい町の真ん中辺り)まで先回りして「赤福氷」を食べて涼を取りつつ待ち構え、上せ車の最後の最後に「ずっと曳いてきたフリ」で混じる作戦である。実はこの作戦をかなりの方が行うことは判っており、内宮手前で引き綱を伸ばしてくれるというサービスがある。そうでないと、後から混ざった人たちが綱を持てないからだ。
そんなわけで、半ば悠々と内宮に向かってタクシーに乗った。ところがほんの一部、一般車両通行用に開けてある大通りに上せ車が出てくる所があって、丁度運悪くそいつに出会したため、普段なら十分そこそこの道のりを三十分も掛けて内宮に到着した。
内宮の入り口脇に赤福の支店がある。本店はそこから200mほど離れたところにあるんだが、とにかく猛暑・・・ジパング団を炎天下に晒さぬよう、その支店の軒先に陣取って赤福氷を平らげた。

この店にも例の締め飾りがちゃんと飾ってある。伊勢周辺のこの慣わしは、町ぐるみでかなり守られていると言って良いだろう。
今日合流した叔父がおはらい町を下りていき、どの町の上せ車が近づいてきているのか情報収集してきたところによると、初っ端の上せ車にアクシデントがあり、既に一時間遅れのペース。結局、随分と待たされることを覚悟しなければならなくなったが、ひとまず所定の位置まで移動して日陰で休憩。
13時半頃に漸く上せ車の姿が見えてきた。既にずっと引いてきたフリで混ざり込む時間になっていたが、ここで休憩に入ったようだ。多分、昼飯用のおにぎりが配られているんだろうが、遠くに先導車の提灯が見えるだけでじっとしている。そして、その横に何とも気になる看板を発見した。

工学20倍ズームの勝利・・・バッチリ撮れているが、丸焼きなんてあまり「神前」には似つかわしくないと思う反面、昼食時間をとっくに過ぎて「食べてみたいなぁ」と思う気持ちは強かったが、流石にインチキ神領民隊長自ら僥倖を起こすのも・・・とちゃんと我慢をした。 手前に見えるのが、待ち侘びている上せ車の先導車だ。
14時過ぎ、漸く先導車が緩やかに動き出し、やっと目の前まで綱が到着。先回りした叔父や我が家の子供達を探すと、「エンヤ、エンヤ」のかけ声と共に、程なく無事合流。親戚が増殖し、一気に賑やかになった。上せ車の引き上げは、何となく「伊勢の神宮」を気取って優雅に、或いは厳かに進ませるものを想像するかも知れないが、それは全く当て嵌まらない。このかけ声にチャチャを入れて面白可笑しく、そして元気よく引かせ、時に両側で引いている二本の綱を真ん中に寄っていってぶつけるなど、正に「神社のお祭り」の雰囲気そのものである。
なお、詳しい模様はYutubeに動画がそれこそ沢山上がっているから、そちらを参照されたし。
さぁ、ここからなら30分ほどで引き終わり、お目当ての「お白石」を貰っていざ入場

実際、その間にも、明らかに「熱あたり」でモドしちゃってる子供やへたり込んでいるお年寄り、道に寝っ転がって扇いで貰っている人など多数・・・まぁとにかく猛烈に暑い。さらに、一旦歩き出したから軒下に待避することもできず、暑い道の真ん中で待たされるのは流石に辛かった。強い日差しがなかったのが唯一の救い。我がジパング団も結構「キテる」感じだったが、何せ親戚が一堂に会していたから、誰かしらが声を掛けたり水を持ってきたりと気を配ってくれ、事なきを得ているといった有様だった。
三十分ほど待たされると、今度は本当にゴールたる宇治橋の前まで一気に引き上げるということで、動き出したら結構加速して難なくゴールイン。

これが苦労して引き上げてきた上せ車の全景だ。本町のマークは日の丸のような「赤い丸」のシンプルなもので、木の車輪と車軸の間にチョークのようなものを差し込んで、「ゴーッ」というかなり大きな音を鳴らして進ませる。他の町では、全く大人しいものや飾り付けが派手なもの、或いは先導車に女性が多く乗って歌と太鼓で優雅に引き上げるものなど、町々によって趣向がある。本町のこの「ゴーッ」という音は、どこか地響きに似た少しおどろおどろしい音で、自分勝手に「歴史」を感じてしまうのである。
神主がお払いをし、いざ宇治橋を渡って内宮の中へ・・・と言っても、上せ車は流石に入ってこない。宇治橋を渡ったところで石を受け取るのだ。

宇治橋の左手・・・下流の方に見えるこの場所は、小さい頃に叔父や伯母に連れてきて貰った「川泳ぎ」の場所だ。とても綺麗で水が冷たく、時に蛭(ヒル)がいたりして従兄弟達と大騒ぎしていた所だ。ここは相変わらず泳ぎに来ている人も多く、遠目ではあるが昔のままのように思え、何だかホッとした。
神宮の中は撮影禁止の場所が多いが、内宮の場合も「ここから先はダメ

さて、例の法被の件も片付けておきたい。

全く構図が変だが、手前に半分写っている法被・・・背中に大きな日の丸をモチーフにしたようなものが本町の法被の主流、その他、神宮の他の行事に合わせて誂えた法被もあり、左の方に写っているような背中の赤い丸が「本町」の形になっていたりするものまで多種多様。ただ、何れも襟の袂に町名が書いてあるから、前から見れば一目瞭然。同じ町の知り合いを捜す目印にもなっている。
こいつさえ手に入れればインチキ神領民にはなれるから、知り合いの知り合いのそのまた知り合いが伊勢の人なら頼んでみるといい・・・とは言え、次の特別神領民参加は十年ちょっと先の「御木曳」になるわけで、まぁそんなに慌てることはないだろう・・・と思ったら、8月末には外宮のお白石持ちがあるんだった

肝心の石の写真はないのか・・・そう、撮り忘れた

総檜造りの神殿は、陽が差すとそれを反射して神々しく見えるほどに仕上げられている。その神殿の前にお白石を置いて、皆「二礼二拍手一礼」をするのである。
普通に考えれば、まだ神も住んでおられない言わば「空き家」に向かって手を合わせるのは妙な行為だが、八百万の神よろしく、この凛とした神殿もまた「神」として良いのではないかと思えるほど、清浄たる造りに圧倒されるのだ。そこに長居は無用であり、順番に従って去っていかなければならない正に「一遇」の時に幾つか呼吸をして檜の香りを胸に納め、以降二十年の役目を小さな白い石に託す・・・そんな貴重な経験ができること自体、母を含めた親族・親戚があればこそと、漸くこの歳になれば解ってくるのである。
元気を取り戻したジパング団の石置き完了を待ちつつ、ゆっくりと参集殿に戻った。ここで改めて親戚一同が会することになっていたが、些か時間が押してしまったから一通り「大きくなったなぁ・・・」「おいおい、老けたなぁ・・・」と声を掛け合い、記念撮影をしてわらわらと散会した。そして、内宮での最後の一枚。

丁度、次の町の上せ車が到着してごった返す人々を背に、完全な逆光状態の宇治橋鳥居である。流石にかなり疲れたため、これも構図がおかしい(って、単に下手なだけ・・・)。この大勢の人々を他所にタクシー乗り場に向かい、10分ほど待たされたものの何とか乗車でき宇治山田駅に戻ってきた。そして、発車時間の近い近鉄特急の切符を買い、またしても15分ほど乗って鳥羽着、送迎バスを待ってホテルに戻ってきた。
バスでの戻りしな、丁度山裾に夕日が落ちていくところだった。

走るバスの中からとしては上出来の類だろうが、何でこのタイミングで何やら機械仕掛けのクレーン船が手前にあるんだ


昼飯も結局食えずに灼熱に晒されかなりの距離を歩いたんだから、お腹はぺこぺこである。本当ならホテルに着いたらまずは温泉に飛び込んで汗を流してから夕食へ・・・となるはずだったが「全員一致」で食事を優先に。そして、小さい頃に随分遊んで貰った叔父を食事に招待し、昨日より少し賑やかな食事会のスタートである。
今日のメインディッシュはこれ。

周辺の貝殻は既に食がかなり進んだことを物語っているが、少し遅れて登場した伊勢エビの活き作りである。言わずもがな、やはり新鮮なものは美味い・・・がそれなりの値段だ。そして、あっという間になくなってしまうのもお決まりである。
18時頃からスタートした夕食会では、徐々に皆の体力が回復してきて話が弾み、3時間超に至る宴会となった。未だ明日半日の行動と帰路が待っているが、ぶっ倒れない程度に



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