fc2ブログ

失われたGW

2016-05-07      
 この種の備忘はあまりしたくないが、このカテゴリ「Zaregoto・・・」は日記代わりの役割もあったりするので認めておくことにする。

 今年のGWは5/2,6が平日という飛び石連休であり、何れか一日は出勤日に充てる必要があった。そこで、家族とのイベント日程を前半に置き5/6を出勤日としておいた。特に5/2は成田山へお参りに行こうと息子家族から誘われ、大伯父を連れて大挙して行くことにしてあった。

 ところがである。連休一週前に家人が持ち込んだ風邪が家族を順に持ち回る形で醸成され、アンカーに自分が選ばれてしまった。連休一日前の夕刻には取引先の招待で上等なお酒と霜降りの牛肉を喰らったものの、実はこの日は非常に具合が悪く、午後2時間程自宅に戻って静養を取ってから出かけるという僥倖・・・それでも無事、義理は果たしてきた。

 そしてGW初日の4/29。風邪は微熱程度であることから、一日ゴロゴロしてりゃぁ治るべ・・・と高を括り、早めに書き上げたかった記事も寝ながらにアップでき、風邪薬を飲んで大人しくしていた。

 ところがここから、「微熱で歩くとふらつく」「大量の鼻水」「軽い咳」と対したことがないこれらの症状が全く治らない。特に微熱・・・37度前半の熱は、却って「発熱している感じ」がして何も手に付かず、横になっていないと辛い状態が続く。一方、どういうわけか同じタイミングで大伯父も風邪を引いたらしく、結局、楽しみにしていた成田山は延期とさせて貰った。そして、5/2になって症状があまり改善していなければ掛かり付けに行こうと考えていた。

 5/2には若干改善の兆しあり、少しは起き上がって動くことができたため、散らかった机の周りを若干整理してはみたものの、やはり本調子とは言えない状態。かと言って、病院に行く程でも無さそうで「幾ら何でもそろそろ軽快するだろう」とそのまま茫洋たる一日を過ごした。ところがこれが良くなかったのか、翌3日には38度を超える発熱と胸周りの痛みと咳に見舞われ、これで本格的な風邪っ引きとなった。ところが、暦上の3連休に入ってしまい通院もままならない状態になってしまった。市販薬をちょいと強烈なものに替え、5/6の出勤日までに何とかしないと・・・と、もうこの時点でGWは何もせぬまま終わることが確実となった。

 比較的高熱だったのは5/3のみ、その後はまたしても微熱と大量の鼻水の状態は変わらず、5/6は薬で誤魔化しつつ出社。承認作業を一通り終えて午後早めに帰宅したが、結局状態はあまり変わらずゴロゴロしていた。そして本日は・・・本当に漸く治りつつあるらしい。ほぼ平熱となり、立ち歩いてもふらつく感じが無くなった。相変わらず鼻水が出るものの、これも緩和しつつあるようだ。

 折角のGWはパァ・・・は兎も角、体力の無さを露呈したここ十日ばかりの有様は、やはり「寄る年波」と片付けるしかあるまい。さらに重篤化しなかっただけでも良かったと整理しておくか・・・

追記 2016.05.19
 結局、この記事を書いて12日も経過した現在も「100%完治」とまではいかないような有様。先週は鼻水が止まったと思ったら咳が出始め、週末はちょっと酷かった。ただ、流石にもう快方には向かったようで、昨日辺りからは時折せき込むだけになった。
 思えばここ数年の風邪っ引きは、都合1カ月くらいの期間「調子悪」が続く。いわゆる身体の変わり目と言う奴なんだろうが、流石に辟易である。

今年も「咳」の備忘録

2016-02-27      
 2月3日辺りで一度引いた風邪が、長々と軽快しなかった。昨年もかなり苦しんだ覚えがあるが、これはインフルエンザで弱った身体に「咳が置いて行かれた」といった感じだった。しかし、今年はこれともまた少し違っているのだ。

 酷いときは一度咳をし始めると5分程発作的に続くことがあり、会社ではマスク着用必須、帰ってきてもできるだけマスク着用で過ごしていた。この状態は10日程で脱したが、その後も「深夜」や「食後」に咳が出る。空咳でないのが幸いだった(空咳は本当に疲れるからね)が、それでも気付くと咳き込んでいていい加減頭にきていた。
 先週の金曜日は予約してあった人間ドックを受診しに行った。咳が発作的に出る旨伝えたら、「胃のバリウム検査は止めておいた方がいい」と言われた。万一、バリウムを飲む時に咳をしたり咽せたりして気管や肺の方にバリウムが行ってしまうとかなり都合が悪いらしく、結局胃の検査はネグってしまった。

 今週は流石に楽になってきて咳き込むことは圧倒的に少なくなった。この週末に掛けて漸く本格的に軽快したのかも知れない。仮にこれで完治したとすると都合3週間程の苦闘だったわけだが、これでは昨年とあまり変わらないではないか。

 結局、寄る年波に圧されているということか・・・ま、仕方がないということだな。インフルエンザが今頃流行ってきているから、ここ暫くは用心するに超したことはなさそうだ。

エアコン掃除の覚え書き

2015-09-22      
 Zaregoto(戯れ言)・・・と称して、ちょっとしたイベントや出来事、或いは家族旅行の風景、はたまた不意に思いついたことなどを記しているが、中でも比較的登場回数が多いのが、我が家のポンコツエアコンの掃除のことだ。ちょっとした道具を揃えれば素人でもそこそこ綺麗に掃除でき、その都度冷房効果(或いは暖房効果)が蘇り、かつ電気代の節約にも繋がるというまさに一石二鳥・・・素晴らしいことである。

 数日前に風量の減少と「ヒュンヒュン音」(エアコンから吹き出す風が不規則に変化し、「ヒュンヒュン」という風切り音が聞こえてくると、そろそろ回転フィンの掃除の合図)に気付いた。暖房が必要な季節になるまで暫し休眠に入るエアコン掃除も億劫だなぁ、何もこの連休中でなくても・・・と思ったが、始めてしまえば1時間程度のこと故、午前中に片付けてしまった。綺麗になると、風量が増して冷房範囲が広がる。我が寝床にも涼風が届くようになるのが嬉しい。

 ・・・というわけで、このように記事に残しておくと来年の参考になったりするから、このエアコン掃除については覚え書きしておくわけだ。ちなみに、今晩は夕飯に腕を振るったりもしたから、一家の主としては大威張りで缶酎ハイを傾けるわけである。まんざらでもない休日である。

中禅寺湖畔と改修中の陽明門(後編)

2015-08-14      
 中善寺から小一時間の漫ろ歩きの末、漸く辿り着いた。



 お洒落な立て札のあまり、この大きさのスナップでは何が書いてあるか判らない・・・イタリア大使館別荘記念公園に到着した。湖畔にほど近いところにある落ち着いた雰囲気の木造の建物が旧別荘、その周辺を公園に仕立てた感じだ。

 別荘から見下ろす形で中禅寺湖が見える。開け放した窓から涼しい風が吹き抜け、実にゆったりとした時間が流れる。右手に見える男体山をスナップに納めてみた。



 雨粒を孕んだような雲が刻々と形を変えながらゆく様は、長く眺めていても飽きない。広い縁側に背の長い椅子が置かれ、我ら一同、大いに寛いだ。孫娘も小一時間のお昼寝・・・流石に随分と歩いてきたから、ぐっすり眠ったようだ。

 そうそう、この建物の内装も小洒落ていて好ましい。



 洗練された内装の雰囲気を上手く撮ったと思ったら、右下に娘の頭が写り込んでいた・・・やれやれ。

 1時間あまりの「長逗留」となった旧別荘を後にし、ホテルの方向に引き返した。今回は東武バス周遊付きの切符を持っていたから、公園入り口に近いバス停から2停留所ほど戻り、そこから少し歩いたところにあるレストランで遅めの昼食となった。自分は、鹿肉の燻製でビールを飲んだ。そして、ホテルを通り抜けてこれまた歩いて行ける距離にある「日光自然博物館」に行った。
 この博物館は、文字通り日光の自然を紹介してくれる博物館で、15分程にまとめられた日光の自然を納めた映画を上映している。かなり大きなスクリーンに映し出される綺麗な映像・・・な筈なんだが、始まって暫くしたらビールのほろ酔いで不覚にも眠ってしまった・・・。
 展示自体は、勿論日光に生息する動植物の紹介であるが、昆虫好きの自分にとっては珍妙奇っ怪なる昆虫は見つけられず少しガッカリだったが、それでもルリボシヤンマの標本をしげしげと眺めたり、案外難しいクイズマシンの問題を解くのに窮したりしていた。

 頃合いの時間となり、またしてもお菓子を買い込みつつホテルに戻り、昨日同様にワイワイガヤガヤとしゃべり、温泉に浸かり、美味しい夕食を頂けば、あとは銘々のペースで眠りにつくのがよい。歩いたのは然したる距離でもないが、なだらかな上り坂を都合2時間歩いたのがちょっと堪えたのか、23時くらいには眠ってしまった。1時頃にふと覚醒すると、外は結構な豪雨。そうそう、今回はずっと曇天ではあるものの、上手いこと降られていないのが幸いだ。その雨音を聞きながら中途半端に目が覚めたことを後悔したが、やはり結構疲れていたのであろうか案外直ぐに寝てしまった。

 3日目・・・最後のイベントである東照宮巡り。10時頃までホテルでゆっくり過ごし、いろは坂を下ること20分あまりで最寄りのバス停「西参道」に到着した。そこから表参道を目指し、表参道に至ってはかなり長い上り坂を「老人ペース」で上っていった。



 茶の間で人気だったお馴染みの時代劇で全国区となった「葵の紋」を頂く「社号標」が参道の右側でお出迎えだ。鳥居を潜ってさらに急勾配を少し上っていくと左手に五重塔、そして漸く入り口に辿り着く。入館料を払って階段を上がると表門、さらにそいつを潜ると、最初に見られるのが有名な「三猿」である。



 右から「見ざる・言わざる・聞かざる」・・・実物は思いの外小さいが、滑稽な表情と手足の造形が皆に愛される所以であろう。この左右にも様々な「猿たち」がいて、一つひとつを楽しむことができる。

 振り向くと「上神庫」と呼ばれる建物があるが、こちらは日本人好みの「わび・さび」とはほど遠い、それこそキンキラキン・・・「これぞ、東照宮」といった構えが見られる。



 言葉では表せないこの煌びやかな感じは個人的には好みでないものの、徳川の栄誉をここまで誇示したのは、それはそれで凄いことだとは思う。勿論、建立当時にはそれこそ畏怖と羨望を突きつけるに十分だったに違いない。

 鳥居を潜れば陽明門は直ぐそこだ。歩みを進めると・・・



 ほっかむりをした陽明門が見えた。そう、ただ今「平成の大修理」の真っ最中。平成31年の3月一杯まで凡そ6年にも及ぶまさに「大修理」だ。実はこのこと自体は行く前から知ってはいたが、どこの改修工事と間違えたのか「既に終わっている」と思い込み、ろくに確認せずに来てしまったのだ・・・。

 気を取り直して、この工事中の陽明門(ある意味、これも特別なことではあるに違いない)を潜り抜けると、いよいよ本殿前の「唐門」が見えてくる。唐門の前は混雑が酷かったため、またしても右の方に流れて撮ってみた。



 無人にすることはできなかったし、側方に捌け過ぎて唐門の全貌が写せていない。まぁ、本殿との関係は判り易いとは言えよう。豪華絢爛たるこの佇まいは、外国の人々にはウケること間違い無しだろう。

 今回の東照宮来訪で確認したかったのが、「眠猫は思いの外小さい」ということだ。この旅行に同行した愚弟が、修学旅行の時の印象で「何だかえらく小さかった」という印象を強調する毎に、その5年前には見た筈の自分の記憶にこれっぽっちも残っていなかったことが癪にさわったからだ。
 果たして彼女(なのかどうかは判らぬ)は、確かに非常に小さかったのだ。



 周辺に比較できる物がないんで正確には解らんが、せいぜい横幅15cmくらいであろう。クッと眼を閉じるそれは、欄間の装飾として何百年も眠り続けていたのであろう。

 この眠猫を潜り抜けると本殿の上にある奥宮にも行けるのだが、三百段あまりの階段が億劫で止めてしまった。我が一行の若い衆はさっさと上ってきたようだった。

 この後、本殿にある「鳴竜」の音を聞いた。確か修学旅行の際には、皆で手を叩いたり大きな声を上げたりして通過した記憶があるが、今回はきちんと説明をしてくれる人がおり、拍子木を鳴らして聞かせる形になっていた。竜の頭の下でしかその不思議な反響が起こらない作りになっているのだが、これは意図してそうしたのだろうか。
 鳴竜の直ぐ横で小さな鈴の守りを買った。この鈴は、さらに小さな鈴が中に密閉されており、何とも不思議な音を奏でる物だ。幾色の中から緑を選んだ。

 東照宮巡りは2時間余りで終えた。転ばぬようにと声を掛けながら結構急な坂をバス通りまで下っていくと信号渋滞が見えたが、ほど近いバス停でほんの5分程待っていたら東武日光駅行きが来た。これに乗車して駅までは10分程で到着した。



 ここから遅めの昼食へ・・・「湯葉、湯葉・・・」と念仏のように唱えていると、伯父貴と母が駅の案内所で頃合いの場所にある食堂を聞き出してくれた。駅から5分程のところにあるちょっと不思議な佇まいのお店で、入りしな「大丈夫かな、ここ・・・」などとちょっと引いてしまったものの、出てきた湯葉料理と天ぷら蕎麦が大変美味しかった。皆、一様に満足の昼食となった。ありがとう、案内所の人。

 駅に戻りしな土産を買って駅前のベンチで孫娘を囲んでいたら、早くも車組の息子家族が帰路に着くことに。暫し別れを惜しんだら、今度は我が電車組も発車の時間となった。下今市で特急に乗り換えた後の車内では、少々くたびれ気味の連中が「寝落ち」していったが、自分は伯父貴とあれこれ四方山話に花を咲かせていたら、あっという間に浅草に着いた。

 時刻は18時。数時間前に食べた昼食が未だお腹に残っている感じもするが、それでも食いしん坊なご一行はやはり「夕飯は夕飯」として食べちゃうのである。



 何ともメチャメチャなスナップであるが、まぁ良かろう。このように、窓からスカイツリーが見えるレストランで、またしても美味い料理に舌鼓を打ち、旅程を振り返って談笑してから伯父貴と別れ、我が家の住人は電車での帰宅となった。この後、丸3日間エアコンを入れていない家の温度(居間の温度が34度だった)を2時間程して下げるのは、こうした夏休みの家族旅行恒例のことだ。
 そして、徐々に温度が下がっていく部屋の中、自分の布団に転がる幸せを感じながら、あっという間だった今年の家族旅行を一人振り返る・・・とこういけば、この旅行記も大団円で終わるわけだが、部下からの急なメールに気付いて一気に現実に引き戻された・・・。まぁ、こんなものだな。

 さぁ、来年は何処へ行こうか・・・って、幾ら何でも未だ早いな。

中禅寺湖畔と改修中の陽明門(前編)

2015-08-13      
 暑かった数週間を凌ぎ切り、漸く夏期休暇まで辿り着いたと思ったら直ぐに家族旅行の到来だ。今年の目的地はきっと涼しいに違いない日光の中禅寺湖畔・・・我が家に住む家族5人と伯父貴、そして息子一家3人、合計9人の大移動である。孫娘が未だ小さいことから息子家族は車で、残る6人は東武鉄道+バス移動でホテル合流とした。

 8月10日11時発のスペーシアに例によって弁当を買い込んで乗り込むと、嗚呼、なんと意地汚いことか(といっても、これも見慣れた風景なんだが)都内を走っている間に食べ始める始末・・・ワイワイガヤガヤとしゃべる様は、ひょっとすると「はた迷惑」だったかも知れぬが、自分は電車の振動でビールが程よく回ってきて、何やらニンマリニヤニヤと過ごした。

 下今市から各駅停車に乗り換えて10分足らずで東武日光駅に着いた。バスの時刻表を見ると、十数分待ちで中禅寺湖畔まで行くバスが発車するようだ。まだ都内とあまり変わらない気温の駅前で、各自水分補給用の飲み物を買ったらもう出発時間である。
 駅前からいろは坂に向かう途中、最終日に訪れるであろう東照宮の辺りまでは、信号渋滞でかなり時間を掛けて上っていった感じだったが、その後は特段の滞りもなく中善寺湖畔に到着。なるほど「下界」とは違い、ヒンヤリとした気温ではあるが、歩けばそこそこ汗ばむかなぁ・・・といった塩梅。



 丁度、男体山にかかった雲が晴れてきた所で、あまりよいショットにはならなかった・・・が、まぁこんな風に「明るい曇り」といった到着の風景だ。そして程なく、二連泊予定の「日光レークサイドホテル」に着いた。
 このホテルは中禅寺湖畔では金谷ホテルと並ぶ老舗だが、リニューアルのため、年明けの1月4日に一時休止となるとのことだ。こうなると、今の佇まいはこの旅行で見納めになるであろう・・・と老舗故にどこか煤けた、或いは傷みかけた風情を期待したが、いえいえ、とても綺麗なホテルだった。建て替えなくても良さそうなものだが、まぁいろいろ事情もあるのでしょうな。

 ホテルに荷物を置いて休息を取っていると、程なく息子家族が到着。人見知りの我が孫娘は、ほんの数ヶ月見ぬ間にまたしても一段と大きくなっているようだ。どこの民族か判らないような言葉を発するものの、1年と半年足らずでしっかり歩くようになり、これでちょっとは「旅行」の体を成すようだ。
 そして、彼女の歩調に合わせてゆったりと向かったのが、名瀑「華厳ノ滝」だ。小学校の修学旅行以来だから、かれこれ40年振りの「再会」である。さらに伯父貴も高校の修学旅行で来たそうで、それこそ60年振りという勘定になるようだ。華厳ノ滝自体は流石に「名瀑」と言われるだけあってテレビ番組等でも取り上げられることが多く、映像的にはあまり色褪せないで記憶しているつもりになっているが、果たしてそのスケール感は如何に・・・と歩みを進めれば見えてくるのである。



 こんなスナップにしてしまうと流石にその大きさが全く伝わらないが、底篭りしたゴーッという爆音が聞こえてくる。直ぐにこの瀑布の圧倒的なスケールを満喫できる展望台へ向かった。
 エレベータ乗り場に幾らか列はできていたものの5分足らずで乗り込むことができ、あっという間に100mを降下。メチャクチャ涼しい(というか、じっとしていたら寒い)トンネルを抜けると、爆音を轟かす「奴」が現れた。水飛沫が身体を包み込むように纏わり付き、曇天の明るく白い光でさらに白っぽいその姿・・・これがなかなか上手く撮影できないのだ。さらに悪いことに、丁度滝口の少し上に太陽があって露出がオーバーしてしまう・・・と、自分の腕前を棚上げした上で、雰囲気だけでも残しておこうか。



 まぁ、恥さらしはこれくらいにしよう。

 この大いなる「自然の崩落」を満喫して地上に戻れば、今宵の「室内的宴会用食材」を買い込んでホテルに引き返すことに。ここからは、快適な室内で「一族の他愛ない会話」⇒「勝手に温泉に入りに行く時間」⇒「美味しいフランス料理の夕餉」⇒「一族の他愛ない宴会」へと続き、夜が更けていくのであったが、何を隠そう自分は夕餉の後に腹痛を催し、「宴会会場」の隣の部屋で寝くたばる始末・・・日頃の罰が当たったのだろうか。幸い、翌朝には軽快してバイキング形式の大盛りな朝食を平らげたことは言うまでも無い。

 というわけで、2日目は「中禅寺湖」の名称由来と言って良い「中善寺」に歩いて行くことにした。中善寺には「立木観音」と呼ばれる観音様が居られる。何でも立木のまま彫り上げた木像だと聞くが、果たしてどんなお姿なんじゃろう・・・と半ば興味本位で訪ねることにした。
 ホテルからの距離は凡そ1Km。かなり近いであろう道を歩いて行ったが、これがどういう訳かなかなか着かぬ。皆が皆、まだかまだかと尋ね合うほどだ。まぁ、まだまだ覚束ない足取りの孫娘の歩調に所々合わせて歩くんだから仕方が無いが、気温に比して湿度が高くて漫ろ歩きでも汗ばんでしまう。またしても、自販機を見つけては「熱射病防止用」の飲料を購入しながら歩くこと40分あまり・・・漸く現着となった。

 到着していきなりだが、母が「御朱印、御朱印・・・」とウロウロしている間にみくじを引いたら小吉だった。大吉、中吉、小吉、吉・・・第三位、まずまずである。読むと有り難いことが書いてある。曰く、「失せ物 物の間にあり」・・・当たり前とも言うが、嗚呼、アリガタヤアリガタヤ。そして、本堂の中へ。ここのご本尊たる立木観音は、とっても穏やかなお顔の観音様だった。千手観音故、無理なお願いも聞いてくれるということだったので、3つ程お願い事をして来たが、無論、こんな所にひけらかすほどに耄碌はして居らぬ。

 ヒンヤリとしたお堂を上の方へ上がると、何とそこが出口だ。



 絶好の眺めなんだが、奇しくも今日も曇天。手前は薄日が差しているが、中禅寺湖とその周辺の山々は、お世辞にも綺麗とは言い難い。ただ、吹き抜ける風は涼しく、昨日まで納戸(=寝室)でへたり込んでいたのが嘘のようではある。

 おっと、本堂の撮影を忘れていた。慌てて構図探し。正面からバチッと撮りたかったがタイミング悪く団体さんが何やら説明を受けていて、どうしても人が写り込んでしまうので仕方なく・・・。



 結局、このスナップにも人影があるし、何だかかなり斜めからの構図で「意味不明」なものとなってしまったが、これら全ては団体さん達のせいである。もっと綺麗な写真が見たけりゃ、中善寺のホームページへどうぞ。

 さて、このお寺が神仏混淆であることはその色味から判るであろう。朱塗りの寺は各地にあって、まぁ珍しいといったわけでは無いが、麓(でいいのかなぁ)にある輪王寺の別院としての面影はあるものの、その煌びやかさはない。そもそも、山を神とする土着の「神教」と後乗りの「仏教」が上手く融合するところ辺りが「日出づる国」の大いに不可思議なところであり、諸外国の人間には全く以てオッペケペな人種として不思議がられ、訝しがられ、さらには恐れられる所以なのかも知れない。その大らかな解釈(包容力)で「山岳修行修験道」を生み出すなんざぁ、その最たるもんだと思う・・・おっと、旅行記から逸れた。

 次の目的地はさらに1Kmほど行ったところにある「イタリア大使館別荘記念公園」だ。湖畔の道を歩いて行けば、まぁそのうちに着くだろう・・・と、ホテルから中善寺までの道中のことを省みずに歩き出したものの、やはりなかなか辿り着かない。皆、歩調が小さくなりダラダラと歩いているような・・・と思ってよく考えたら、実は「なだらかな上り坂」であることに気付いた。なるほど、思いの外長く感じられたのはこのせいだったのかと納得したものの、目的地になかなか着かないことには変わりは無い。
 しかし、このノロノロ歩きのお陰で沢山いる赤トンボを時に捕まえたり(道路にも平気で止まっていて、踏んづけそうになるのが玉にキズ)、ヤマアジサイを眺めたりすることができた。とりわけ目立っていたのが、この赤いちっちゃい奴である。



 野いちご、ヘビイチゴ・・・どうも違うよう。結局何だか判らなかったが、この鮮やかな赤が殺風景な石垣に色味を与える様は印象的だった。

 未だ旅疲れが残った状態でここまで書いてきたが、おねむになってしまった。ここからは後編に続けようか・・・実に中途半端な気もするが。

早々と・・・エアコンフル稼働準備

2015-05-23      
 今年は、GWが明けたら比較的暑い日が多かったように思っていたら、どうやら5月の中旬以降の高温連続日数は記録的らしいことがニュース記事から読み取れた。まぁ、朝晩はかなり気温が下がることもあって、同僚の中には寝しなの窓の開け閉めに失敗して体調を崩している奴もいるが、自分はもうとっくに出してきた扇風機フル回転で凌いでいるような状況(18時現在の室温が27.4℃)であり、この先の梅雨の時期、はたまたその先の「夏」の高温を想像して戦々恐々だ。

 こうなると、昨年まで「掃除不行き届きによる不具合」に翻弄されてきたエアコンに早くから気が行き、今日は天気もまずまずだったことから、昨年実施して大変効果のあった「霧吹き掃除」を行った。方法などは昨年の記事に覚え書きした通り、養生用の「ビニールの大きなほっかむり」をエアコンに被せ、重曹を適当に溶かした液を「手動」の霧吹きでシュッシュと吹きかけながら、主にエアコンの風を送り出す横長のファンを念入りに掃除するのだ。
 午後からは案外気温が高かったこともあって、折角の養生の外側に大量の汗をボタボタ垂らしながら、1時間ちょっとの作業でまずまず綺麗になった。仕上げに除菌用の専用スプレーをかけて、後は送風でぶん回して乾かせば完了である。

 この程度の掃除でも明らかにエアコンの効きは違い、電気代にも跳ね返ってくるのが判ったりするのだ。昨年の夏の電気代は、例年の夏の同時期に比べて毎月二千円ほど安かったから、あまり馬鹿にできない。

 さて、一頻り家族に「廃液」を自慢したが、飽き足らずにスナップに納めた。



 これでも3年振りの掃除だった昨年よりはマシなんだが、相変わらずスンゲィことになっている。ブログに貼り付けるのもどうかと思うが、来年また比べるための「資料」である。

 ここまでやったんだから、多少暑い夏でも許してやろうか・・・とも思ってしまうが、やはり「ほどほどの夏」に期待したい。

丸二週のエア・ポケット

2015-02-21      
 多分、今後も風邪は引くだろし年と共に面倒な病気にも遭遇すると思うが、今回のインフルエンザの予後については書き留めておきたいと思う。何かの参考になるかも知れぬ。

 2/5頃に発症したインフルエンザを「風邪モドキ」と誤解したのは「体温の推移」によるものだ。37度くらいの発熱が続いたら、普通は「微熱=風邪」という公式が成り立つが、今回はマンマとこれに騙された。即ち、インフルエンザの季節に生じた風邪っぽい症状は、素人の見立て(体温云々だけ)で判断してはいかんということだ。身に染みたよ・・・ったく。

 結局、2/11が祝日だったこともあって2/12には出勤を開始したが、兎に角「咳」が収まらない。痰が絡むようなものならまだしも、ほぼ「空咳」に近いことから体力を奪われてしまい、おまけに強烈な目眩もあって、出勤したところで何の役にも立たぬ木偶と化していた。まぁ、それでも仕事は少なからず回っていたわけだから良しとしようか・・・と思ったら、2/16にも休暇を取らざるを得ない状況になってしまった。咳き込みが激しくて何も手に付かず、週末明けに無理を押してでも出勤するという気持ちにならなかった。

 こうした「身体に現れる症状」については、薬を飲む、寝る・・・といった処置があるわけだが、今回特に記しておくべき(この記事に書こうと思っていること)は、精神的に相当落ち込んでしまったことだ。これまでは、風邪でも何でも公私ともに「休める理由」がハッキリした際は、案外「よ~し、ここは休養を取りつつ、回路図の見直しだ」みたいなどこか「ズル休み」的な感覚で済んでいたが、今回は精神的にも落ちてしまい、寝っ転がった状態で何をする気も起きず、ネットの動画をボンヤリと眺めているだけという虚無な時間を過ごすことになってしまった。考えることが全部下向き・内向きになり、楽観できるようなことが何ら思い浮かばない。「ひょっとして、これが鬱・・・」と邪推するほど、今回の心の動きは異常だった。普段の自分と全く違う人間と向き合っているような感覚・・・とでも言おうか。
 ところが、やはり体調の上昇と共にこの陰鬱な気分は徐々に晴れていき、昨日辺りからはまた新たな部品探しやら電子キットの広告に目が行くようになった。漸く、元に戻ろうとしているようだ。

 今日は、3週間空いてしまった歯医者にも行き、普段の週末を過ごしている。まだ咳は完全に抜けきっていないが、もうそろそろ「厳戒態勢」は解除して良いだろう。都合丸二週間のエア・ポケットのような憂鬱な日々は、今日で終わりにしたいと心から思っている。

B型インフルエンザ

2015-02-11      
 丁度一週間前の水曜日、会社帰りに「う~ぬ、喉がいがらっぽい・・・」と思った程度でいたら、その晩に38度弱の発熱があった。翌朝は、午前中に外せない会議があり、起きしなに市販薬を飲むと37度前半まで解熱されたため、「なんでぇ、タダの風邪かい」と思いつつ出社。ところが、会議終了後に顔が火照り出し、午後から危急の予定は特になかったことから大事を取って有休消化とした。
 掛かり付けの医者に行くか迷ったが、「夕方、もし酷かったら行くべ」とそのまま帰宅すると、体温自体はやはり37度少し。どうも、市販薬がきちんと効いているっぽいことから、そのままゴロゴロして過ごしていたが、夜になると38度超えの発熱。

 翌金曜は咳が酷くなってきたこともあり、様子見で有休消化と決めてしまい、例によって市販薬を飲んだらまたしても熱が37度前半に推移・・・一体、何なんだ
 この間、まずまず消化の良さそうなものを食する程度にはしたものの食欲は特に落ちることも無く、熱が下がっている間は少々フラッとする程度で普段とあまり変わりない感じだったが、流石に細かいことをする気が起きない。ネットで古いトーク番組を見つけて、それをボンヤリと見聞きしているという病人らしい過ごし方でゴロゴロとしつつも、まぁそのまま土日突入となれば都合3.5日のちょっとした「連休」になるわけだ。
 ただ、流石にここまで「夜間に高熱」という状態が続くと、単なる風邪ということも無かろうか・・・とやや訝しく思っていたら、仕事から帰って来た娘が真っ赤な顔をしていたため熱を測らせると38度近い発熱・・・もう一人患者が増えたようだ。

 迎えた土曜日、時間を見計らってそそくさと病院へ。何と、病院での検温結果は36.5度・・・平熱である。真っ赤なお顔の娘も見て貰ったら見立ては「風邪」。ただ、二人とも咳が酷いんでそのことを告げて薬だけ貰って帰ろうと思ったら、「念のためインフルチェック、やってく」となり、チェックキットの結果は一目瞭然・・・「おや、二人ともB型だ・・・」。
 B型インフルエンザの発症は、その病院では「今年初めて」ということで何やら珍しいものが出たようにも思ったが、A型が終息方向に向かう2月頃から徐々に流行を始めるものらしい。詰まるところ、仲良くタミフルを貰って帰宅した。

 そして現在・・・流石に熱は下がって久しいんだが、相変わらず咳が出る。一度し始めると咳き込んでしまうため少々厄介だが、明日からは出社しないと、溜まった仕事がやばくなってきた。

 それにしても、例の市販薬・・・こいつはよく効いているように思われる。案外、この薬でもってインフルエンザとは気づかずに乗り切っちゃう人も多いような気もするが、ええんじゃろうか。

信州のんびり巡り

2014-08-17      
 昨年の夏期休暇はお伊勢さん・・・灼熱地獄の中、白い石を運ぶ「偽神領民」と化して活躍したわけだが、どうやらこの久し振りの家族旅行に皆が皆、味を占めたらしい。今年も早くから「夏はやっぱ避暑でしょ」と決め込んで、春に生まれた孫(注:実は、孫などいるような年齢ではないんだが、何事も「早め」に過ごしたある意味の成果である)を見物に行きがてら、長野県北部でのんびりしようと計画した。

 例によって我が家族御一行がずっと世話になってきた伯父も同行ということで、都合6名は12日の12時24分、東京発長野行きの新幹線に乗り込んだ。そしてこれまた例によって年に一度の「高級弁当」を皆で平らげるわけだが、どこでどう間違えたのか座席指定を違えてしまい、5人分しか席を取っていなかった。詰まるところ、自分は自由席へ。上野を過ぎた辺りから弁当を高速で食し、柿の種をつまみにビールをグビリとやりつつしていたら、大宮辺りで寝てしまった・・・。気付けば上田である。まぁ生憎の雨天・曇天に加え、長野新幹線の車窓は全く以て詰まらないから、ある意味正解だったであろう。

 この初日の予定は「宿に辿り着くのみ」という、何ともアイディアのない旅程である。宿の送迎バスが最寄りの「小布施駅」まで迎えに来る時間が決まっていて、爺(伯父)婆(お袋)2名の健康を考えて・・・というか、この2名が揃いも揃って前々日まで帰省していたため、疲れを考慮してのことである。その上、今回は温泉宿を予約・・・とっとと宿について大きな風呂に入るというのも、がつがつとあちこちを見て回る慌ただしい旅より具合が良いとも言える。

 長野駅で新幹線から通称「ながでん」・・・長野電鉄の普通電車に乗り換えた。長野駅から暫くの間は地下駅が続く。東急のアルミカーの払い下げを使っているため、発車するまでは何やら日比谷線の駅に停車中の雰囲気であったが、地上に出て見晴らしが良くなると、全く当たり前に「山」が見えてくる。こうなると、アルミカーに揺られていてもちょっぴり旅情も感じるわけだ。小布施駅までの30分ほどは、車窓を満喫することができた。
 同行した弟が「100円プラスで特急に乗れるぜ」と、スマホで検索した情報を教えてくれた。翌日はこいつに乗ってみようか・・・と、さっき長野駅で見かけた赤い電車を思い出した。やはり、アルミカーより赤い電車の方が格好よいわい・・・と子供の如く思った。



 小布施駅周辺は閑散としていた。小さいとは言え観光地の駅なのに駅付けの土産屋と観光案内パンフがあるだけで、果たしてここを目当てに人が来るんだろうか・・・と心配になった。が、到着して凡そ20分後には送迎バスがやってきて、駅を後にした。
 バスはどんどんと山を登っていく。今回の宿は「山田温泉」・・・初めて行くところだったが、山あいにある涼しげなところという印象だ。真夏故、木々は濃い緑である。然るにベストシーズンはやはり秋だろう。まだ青いリンゴ、そろそろ収穫を迎えるブドウなど、長野を代表する果物畑をちらほら見つつ、20分ほどで宿に着いた。
 後は温泉、夕食・・・と続いていくのであるが、今日のメインは「プライベート露天」である。家族で貸し切り状態にできるもので、勿論男女の別はあるが、「余所の人」がいないわけだ。大きな蛾を追いやりつつ浸かる熱い湯と夏にも関わらず冷え切った夜気を交互に味わったり、大きなミヤマクワガタがひっくり返ってジタバタしているのを助けてやったりと、電球だけが頼りの中、のんびりと過ごすことができた。

 実はこれら宿の中のスナップは殆ど無い。というのも、今回は春先に購入したデジイチを持参したことで、ちょっとしたシーンを撮るのが億劫になってしまい、結局こうしたお手軽スナップ撮影は娘に任せてしまった。即ち、この日の「この一枚」は小布施駅の看板ということに・・・と思ったら、そうでも無かった。

 13日の未明は、毎夏訪れる「ペルセウス座流星群」の極大である。生憎の天気、そして山あいの宿故ちょっと躊躇したが、夜半過ぎに部屋の窓から空を眺めると、何と雲が完全に切れて夏の星座が見えている。こうなると、ちょっと夜更かしをしたら上手いこと見られるんじゃないか・・・と思い、夜風に当たりながら暫く待っていた。
 ところがよく見てみると、十六夜の月が窓の左側から照らしているのが見える。ということは、輻射点とは真反対の位置を眺めることになるわけだ。これでは、少々難しいことになる。それでも時々、窓から見える範囲に目を凝らしていたら、肌寒さを感じるほどの夜気と眼下を流れる渓流(といっても暗くて見えぬが)の音に目が冴えてしまった。結局一つも流星を拝むこと無いままに外が白み掛かり、十六夜が山の稜線に沈みゆく様を眺めていた。



 300mmの望遠でパチリ。うさぎの姿までくっきりと写すことができた。満足して、数時間の仮眠へ。

 翌日は長野市内に住む息子の家・・・というか、お目当ては「孫見物」である。朝の送迎バスで小布施駅へ、そして長野駅まで戻り、そこから一路タクシーで息子宅。無論、小布施駅から長野駅までは「特急」に乗ることにした。



 この特急は「スノー・モンキー」という愛称だそうだが、どこでどう聞き間違えたのか、我がお袋が「スーパー・ゴリラ」と言い放ち、皆に失笑を買っていた。やはり「100円高」の意味はあって、リクライニングの広々シートと自分向きに冷風を噴射してくれる機能(なんて言うんだろうか・・・)が有り難い。

 息子宅では、我が孫娘が中心的存在である。即ち、詳説はここには記さぬが、「数週前に寝返りを覚えた命」を皆思い思いに愛でていたので、この旅行はこの時点で既にその役割を果たしたと言って良い・・・が、午後からは善光寺に足を伸ばした。

 善光寺は何といっても「お戒壇巡り」がメインである。大昔に世田谷在住だった頃、玉川大師の地下霊場に行ったことがある。それこそ鼻先をぺろりと舐められても誰に舐められたのか絶対に判らないような真っ暗けっけ(この例え様は、きっと誰にも伝わらんだろうなぁ・・・)の経験はあるが、興味津々の娘と甥っ子の先導役として入場した。本当に真っ暗けっけの迷路で、携帯電話のライトを付けた馬鹿者がおり、「きっと、あ奴は地獄に落ちるよのぅ・・・」と思いつつそ奴を一喝し、やや怖々と着いてくる2人の子分を従えて、いざ錠前、錠前・・・すると、薄らと出口が見えてきた。即ち「素通り」である。引き返すこともできず、外に出た阿呆3名は、「また来なくっちゃジャン・・・」とリベンジを誓ったのだった。

 善光寺の本堂や大きな門の写真は他に譲ろう。ここでは奇を衒って「逆の眺め」を披露したい。



 善光寺参りを終え、直ぐ近くの「東山魁夷館」を回ってきたあと、再度参道に戻ってきたところだ。仁王門を裏から撮影したわけだが、並んでいる店屋の佇まいが素敵だ。ここで名物の七味唐辛子と「唐辛子の種」という柿の種の辛いバージョンを買い(ここのブログ主は、比類希な辛党である)、その他皆の衆も思い思いの土産を買い込み、循環バスに乗って長野駅へ、そして今日の旅程は終了と相成った。
 この晩は定番の「大浴場」で長時間湯船に浸かってややのぼせ気味だったものの、前日の寝不足も相まってコロリと寝入ってしまい、翌朝の朝食時間まで爆睡してしまった。

 最終日の14日は小布施を歩いた。定番の北斎館を巡って漫ろ歩き。北斎館では、江戸末期とは思えない画風と色使いに感嘆し、絵はがきと絵入りのクリアフォルダを買った。特に「桔梗」の絵が気に入った。

 昼近くになると、少し小粒の雨が降ってきた。湿度が高くて過ごしにくかったもののやはり千葉県北西部とは違い、日陰で風に吹かれると心地よい。名物の蕎麦を平らげたら、何やら爺婆が「ジャム、ジャム・・・」とジャム屋さんを探し出し、友人への贈り物をし始めた。そのジャム屋さんの店先に・・・



 ブリーベリーのようだ。摘まんで食べてみたいところだったが、流石に止めておいた。それぞれの粒が熟し具合で色が違っているところが面白い。

 そうこうしている内に帰りの時間だ。小布施駅までノロノロと歩き、随分と長いこと電車を待った。そして長野駅を経て東京駅・・・18時には戻ってきた。こうなると、締めのイベントは夕飯ということになる。



 鰻重で締め・・・昨夏の旅行と同じ締めになってしまったが、これは昨夏食わず嫌いが治った3名による「たっての願い」。伯父に奢って頂いた。美味い食事で会話に華が咲き・・・それでも帰らなければならない。頃合いで伯父と別れ、馴染みの電車に乗った。
 14日21時に全員無事帰宅。荷物は宅配便にしたから、まだ「帰路」だ。思いの外暑くなかった家の中(31℃くらいだった)、掃除し立てで絶好調のエアコンをフル回転させたら30分ほどで過ごせるようになり、慣れた布団にゴロリ。

 これで今年の旅はお終い。また一つ、思い出が増えた。来年は草津辺り、いやいや河口湖もいいぞ・・・既に計画が始まったようだ。

3年振りのエアコン掃除

2014-08-10      
 我が家のエアコンは、冷やす体積に対して非力なものである。そもそも、エアコンが設置されている部屋とその続き部屋くらいは冷やせるだろう・・・といったコンセプトのものに、「遠く離れた納戸」たる我が引き籠もり部屋まで何とかさせようというのが無謀なわけだが、「フル稼働」を強いて何とか凌いでいる。まぁ、可哀想なエアコンだ。

 過日、またしても不規則な吹き出し(風がヒュンヒュンと強弱を繰り返す)が現れた。その原因が「埃」であることは、ここ数年の経験から直ぐに判明。例によって埃取りを敢行したが、苦労に反してあまり改善しない。昨年まではこれで何とかなっていたわけだが、既に家族全員がエアコンなしでは眠れない脆弱軍団に於いては、この微々たる改善では満足が行かないことは明白だ。つまるところ、ちょっと本格的な掃除・・・いわゆる「水洗い」を思いついた。

 家庭用のエアコン掃除では、熱交換部分であるステンレスの「フィン」と、風を送り出すための「ファン」を綺麗にすればよい。とりわけ「フィン」の洗浄に関しては、様々なメーカから扱い易いスプレー式のものが販売されておりそこそこ効果もあるが、どちらかというと「埃臭・カビ臭」を排除するようなものが多い。
 このフィンの部分にある程度液体を吹きかけても、そもそも排水できる機能を持っている場所だから問題ない。それこそ気に入った芳香の洗浄剤を吹きかけてお茶を濁すことは可能だが、総じて「綺麗」といった風にはならない。やはり「水洗い」に近い形の作業で、目詰まりしたフィンの隙間を洗い流すことが必要。実際、フィン洗浄に向いた溶液も売っている。

 ファンについては構造上、洗浄するための工夫が必要・・・風を吹き出すべくエアコンの下部に位置することと、「液体で洗うこと」を前提にしていないためそのまま水洗いすることはほぼ不可能であり、勢い「何かを吹き付けて洗い流す」という行為には養生用のシートが必要だ。市販品が勿論ある。ただのビニールとゴムが構成材料だから、2千円弱の価格はちょっと高い気もしたが、要は「家庭用のエアコン掃除ならこの形でしょ」という、正にベストフィットの形をしている。仕事中であったが、「夏休みの一大行事の必須アイテム」として購入すべく、スマホからポチってしまった。

 液体を拭きかける、それも勢いよく・・・となると、コンプレッサ式の電動のものが必要なのだろうが、素人が「試しに洗ってみよう」という企てに、あまり豪勢な機材を用意するのはナンセンスだ。そこで、ペットボトル用の噴霧ノズルを購入してみた。勢いこそ足りなさそうだが、ピンポイントで狙って噴霧できることや、動力源が「手」であることなど、失敗覚悟のこの掃除作戦には丁度良い。これも序でにポチっとな。

 さて、問題は洗浄液。噴霧ノズルまで用意したから、それこそ「専用」のものがあれば・・・と探してみたが、前述の「フィン用」はあるが「ファン用」はムース状のものしか見当たらない。これはこれで良さそうだが、要は「プラスチックに付着した埃を洗い流せばよい」という風に考えると、そんなに大仰なものを準備しなくても済むんじゃないか・・・というわけで、100円ショップで重曹を買ってきた。にわか造りの「弱アルカリ洗浄剤」である(500mlに対し、大さじ一杯ぐらいの濃度で作った)。



 いざ掃除開始・・・って、この間は洗浄に夢中で、スナップ撮影どころではないのである。ほっかむりの如くエアコンに養生シートを掛け、このにわか洗浄剤を吹き付けたらどの程度の「汚泥」が出たのかだけ、証拠写真とした。



 この黒い柱のようなものが、エアコンから採集された埃の水・・・まさに「黒カビ一杯」の感じだ。この後バケツにぶちまけたが、墨汁のようであった。こんなものをすり抜けてきた風を浴びていたのかと思うと、ちょっとぞっとする。が、今まで突っつき落としていたファンの隙間の埃を、見事に根こそぎ取り去ることができたようだ。都合2時間余りの作業としては上出来だろう。

 掃除した晩もいつものようにエアコン全開で寝たが、連日と同じ温度設定でも些か寒かった。即ち、これが我が家のエアコンの実力ということになるということか・・・。ということは、またしても数年前の如く「電気の無駄遣い」をしていたということなのだろうか・・・。
Calendar
02 | 2024/03 | 04
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
New !
Category
Comments
Monthly Archives
Track Backs
Counter
Sunspot Now !

 


Survey Results

 

Profile

どよよん無線技士

Author :どよよん無線技士
こおるさいん:JM1DPL

アパマンというハンデにさらにQRPまで課し、失敗連続のヘッポコリグや周辺機器の製作・・・趣味というより「荒行」か!?

メールは「JARL経由」でお願いします。

Links
Follow me !
RSS Links
QR Code
QR